大山への参拝ルートは多々あります。今回は表参道から登るルートを選択します。参道へと至る道の途中には鳥居が残っている場所もあり、昔は下から・・・どころか江戸から歩いてこられたというのだからいやはや頭の下がる思いです。
現代に生きる私達にとって、大山詣でというのは日帰りで済ませるレジャーとなってしまっておりますが、かつては講社の人々が大々的に参拝に訪れ、しかも今以上に賑わっていたというのは実に不思議な感覚です。
小田急線の秦野駅や伊勢原駅からバスで行く場合は、大山ケーブル駅で降車しますが休日等は朝から大賑わい。満員バスになっている様子を見ることができます。年齢層も様々で、ワンちゃんを連れた軽装の方や、小さいお子様を背負った方まで、多くの人が登山を楽しみにいらっしゃいます。
例年は23日に信徒の皆様と共に大山へ参拝登山をしておりまして、その際は各自車で行くことが多いのですが、午前七時すぎには一番参道に近い公営駐車場は満車になっていることがすくなくありません。
「今回は中腹でお昼を食べに行こうか」と軽い気持ちで訪れたのですが、平日にも関わらず一番上の公営駐車は満車。仕方なく、少し下の方にある駐車場に車を停めることにしました。
しかし、それが功を奏した。駐車場を出ると向かいに「蛇口の滝」と赤い文字で彫られた石碑が見えた。停めるまで気づかなかったが、これは良い場所に駐車したものだと思い、いそいそと道路を渡る。
石碑には「に組蛇口講」とある。講社が建てたものだ。
昭和二十七年とあるがこの色は塗り直した様子。未だ現役の講社なのだろうか。
石碑の横には同じく朱色のきれいな細い橋があり、こちらもきれいに塗られている。
新しいものではないが丁寧に整備されている。ふと橋の標識をみれば「良弁橋」。
そして、橋を渡ればそこにはこぢんまりとしたお堂が。これこそが大山の開山堂である。
良弁堂とも言われ、中には中央に四十三歳の頃の良弁僧正の像、右方に猿が金鷲童子を抱いた像、左方に大日如来が安置されているという。この日は開いていなかったが、ぜひとも中を拝みたい。また別日に伺ってみよう。その時はこちらのブログにも追記せねば。
さて、良弁上人は689年にお生まれになったとされている(『東大寺要録』より)。
それに基づいて43歳といえば732年頃になる。そうなると未だ東大寺は無く、金鐘寺の住職であったとされる頃だろう。そのあたりの良弁上人は具体的にどこで何をしていたのか記録が定かではない。
ちなみに大山寺の創建は755年とされているので、それともまた違った年代のお姿ということになる。金鷲童子の伝説によれば、おおよそこの頃に母親と再会しているためその伝説に沿った形ではなかろうか。
そして東大寺の開山堂にも良弁上人の坐像が祀られているが、こちらは毎年12月16日の良弁忌に開扉され、参拝することが出来ます。国宝に指定されているこちらの像は凛々しいお顔をされており、毎年練行衆の発表を受けたあと、実忠和尚像と合わせてご報告する心持ちでお参りいたします。
ちなみにこちらの像は何歳ごろのお姿なのかわかりませんが平安の頃の作で、良弁上人の百年忌ごろに作成されたのでは無いかとの説もあり理想化されたお姿であろうと言われております。また、大山寺にも良弁上人の坐像は祀られており、内陣を参拝する折に拝見することが出来ます。
隣にあるお滝について、続きはまた来週・・・
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