華厳宗の大本山、東大寺の初代別当として知られる「良弁僧正」ですが、神奈川県にはその足跡をいくつも見ることができます。これは、良弁僧正の生まれが神奈川県(相模国)であったことに起因します。
これは『東大寺要録』に「相模の国人、漆部氏」である記されており、これは『東大寺縁起絵巻』や『大山縁起』でも詳しくは異なるものの相模国の出身であることが示されております。(近江国の出身であるという伝もある)ただ、神奈川のどこの出身であったかは論が分かれるところで、一つはここ鎌倉、もう一つは秦野であったと。
このようなご縁もあり、神奈川県内には良弁僧正の開かれたお寺や神社、行場を見つけることができます。そのうちの一つが当山で毎月滝行を行っております「塩川滝」。この滝修行の場も良弁僧正が開かれた道場であるとされております。
また、その中で最も有名な寺院は伊勢原市にある「大山寺」でありましょう。現在ではケーブルカーなども整備され、秋には紅葉が見事ということでライトアップされるなど見物客で賑わっている県内有数の観光地です。
大山は、標高1252mとそこまで高い山ではありませんが、その雄姿は神奈川県の東部からは良く見え、私の住んでいる鎌倉からも遠くにその姿を見ることができます。もう少し北部の綾瀬市や大和市では、毎日の天気を大山の山頂に雲がかかっているかで判断したりするようです。このような山なので、雨乞いのご利益があると考えられてきたのでしょう。
そんな古くから様々な信仰を受けてきた大山ですが、現在中腹には「阿夫利神社」という大きな神社と、真言宗の「大山寺」が鎮座しております。「大山寺」は元々は現在の「阿夫利神社下社」がある場所にあり、多くの塔頭や僧坊を抱えていたようですが、明治の廃仏毀釈の折に追われてしまい、少し標高の下がった位置に留まっております。
この大山寺の創建は奈良時代にまでさかのぼり、ご縁起には次のように書かれています。
「大山寺創建、755年 (天平勝宝7年)、 第1世 奈良東大寺長者良弁僧正(華厳宗)
奈良の東大寺を開いた良弁僧正が開山した。
相模の国に生まれた良弁僧正は晩年に父母を思い当地を訪れて大山に登った。
峰上に登ると、僧正は地面から五色の光が出ているのを見出し、不思議に思って岩を掘り返してみると石像の不動明王が出現した。
不動明王よりこの山が弥勒菩薩の浄土であり、釈迦の変わりにこの山に出現して法を守護し衆生を利益しているとの託宣をうけた良弁僧正は一旦奈良に戻り、聖武天皇より東大寺を離れる許しを得るとともに、勅願寺の宣下を賜った。
東大寺建立の際に協力した工匠手中明王太郎を伴って大山に戻った良弁僧正は、3年間当地に住して伽藍を整えた。」
逸話の真偽や年代の正確さはさておき、良弁僧正の手によってこの大山寺は創建され、山にはいたるところに良弁僧正にまつわる逸話やそのお堂が建てられております。私は年に一度はこの大山への参拝登山を行っておりますが、そこには様々な信仰の色を見出すことが出来、行くたびに新しい発見があります。
今回のブログでは何回かに分けて、お話をして行こうと思います。
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