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執筆者の写真望月 大仙

修二会公演を終えて その2



 翌日の本番は午後2時開演 ということもあってゆとりを持って 劇場入りすることができました。



 午前中は何とか雨もふらず、川沿いにフェスティバルホールへと向かいます。途中、新薬師寺の中田定観住職にお会いしました。南衆の中田定慧さんのお父様で修二会にも参籠されております。この晴れ舞台に足を運ばれたようです。


 3日間もいると楽屋での過ごし方もだいぶこなれたもの。始まるまでだいぶリラックスしていた。 この雰囲気は上堂の前のそれにも似ているように思える。


  皆さんが松明は今か今かと待ち構えている頃、 初夜上堂の直前の参籠宿所は良い意味で力が抜けているものです。 これから深夜までの長い行が始まる。その前に、 童子さんや院士さんたちとちょっとお話をして、これからの行に向けて意識を高めるための和やかな時間です。 参籠宿所から一歩出た瞬間から真剣そのもの。


  この日はお昼のお弁当に精進弁当が出ました。修二会公演のときは必ず精進弁当だとか。しかし私はこの弁当は食べませんでした。これからは長丁場。 途中お手洗いなどに行くことを恐れたというのもあります。 一方で、本番と同じようなリズムで臨みたいという気持ちもありました。


  本来の修二会の参籠中は正式な食事は昼食の1回のみ、それを食べ終われば 水を飲むことも叶いません。 そのため 初夜に上がってからはほとんど お手洗いに行きたいということもありません。 あれだけ長い時間の法要ですからそれはある 意味 合理的なシステムではないかと思います。


  一方で 日中 日没 などは食事をしてすぐなので、お腹との戦いになることがしばしばあります。 そんなわけで 私は食堂 さながらに朝のご飯をしっかりと 食べ、 お昼は終わってから食べることに。精神的に高ぶっていたこともあり、空腹感は感じず 、おかげでベストな身体状況で舞台に臨むことができました。


  私の役目はまずは鐘をつくこと。これは三月も同じ。ただ、鐘はちょっと、いやかなり小さい。客席に気持ちの良い音が聞こえるよう鳴らすには力いっぱい叩けねばならなかった。もしかしたらちょっと耳障りだったかもしれません。


  内陣に入ればあとは常のごとく。何も変わりません。強いて言えば、堂内を回る際に東を向くと、暗い中に大勢の人の顔だけがぼーっと浮かび上がっているような。ちょっと怖い表現になりますが、まじまじと皆さんの顔を見つめるわけにも参りませんからそんな印象です。


 読経、初夜と行法が進んで参ります。初夜の時導師は「北二」さん。そのバリトンボイスはマイク無しでもホール内によく響いたことでしょう。神名帳は「南衆」さん。メトロノームのような正確なリズムで神々の御名を読み上げ勧請します。お気づきの方もいらっしゃったかもしれませんが、すべての名前を読み上げるには時間が足りず、ここは抜粋の形を取らせていただきました。


 右側にいらっしゃった方には堂司が神名帳を読み役の練行衆にわたす際にまるでゆらゆらと揺れるように渡す様子を見ることができたのでは無いでしょうか?後日の質問会でもこの様子が印象深かったという方も多くいらっしゃいました。


 神名帳の燈明と漆塗りの箱に入った神名帳を堂司が読み役に渡すと、うやうやしく受け取り軽く拭きます。この箱も江戸の頃から使われているものです。今回の声明公演でももちろん本物を用いております。練行衆が用いるものはすべて。


 仮手洗(かりちょうず)にて舞台は暗転。済ませた体で大導師作法を続け前半の幕は下ります。それが終われば舞台転換。走りに向けて前後を入れ替えます。練行衆も内陣のものを移動させたりと大忙し。短い休憩時間の中で、舞台スタッフの皆様の手際よい仕事のお陰で見事走りの舞台が整いました。


 それまでは西側を舞台の奥に向けておりましたから、私の後頭部が皆様にさらされる形でありました。しかし、後半では私達は観客席に向く形で座ることに。しかし、二月堂の壁の絵が描かれた薄い幕によって隔てられているため、実は内陣から外の様子はほとんど見ることはできません。


 リハーサルの段階でもこれなら大丈夫かな?と思っていたのですが、逆に観客席側から内陣はよく見えるとか。これは晨朝の五体人である南二さんから聞いてびっくりしたものです。気が抜けるタイミングが皆無だ。頭をかくこともできないじゃあないか。


 さて、後半戦は走りからのスタート。いっちょ鳴らしますかと、互為鈴を振る。南北に別れ、順番に鈴を振りやる。走りの見どころはなんといっても堂童子さんの戸帳の巻き上げ。実は練行衆になるとまじまじ見ることはない。礼堂や局から見ることのできる数少ない派手なアクションには皆様も楽しまれたことでしょう。私も見たい。


 走りが終われば後夜。時導師は衆之一。五体人は処世界。後夜の声明はテンポが全て。軽快なリズムで声明を刻みます。これは長い年月の参籠によって身体に刻まれるもので、衆之一さんの経験の為せる技でしょう。一方五体人は今年初めて参籠した処世界さん。新入であったことを全く感じさせない落ち着きと、安定感。大舞台での五体投地も全く乱れる様子を見せません。すごい。


 後夜の大導師作法と咒師作法は、初夜のそれと比べても節が短く悔過作法と同じくテンポよく進みます。しかし、咒師作法は公演のために前半部分の省略もありあっという間。あっという間に晨朝が始まるのです。そう、私の時導師としての出番。


 咒師作法にて四方に向かって四天王を勧請。北方毘沙門天の勧請が終わればすぐに時導師は念珠を摺りながら立ち上がり半畳へと向かいます。四智讃の「オンバザラサトバーン」、三力偈などを聞きながら時導師の準備。これが忙しない。


 大阪公演では走りからの流れで行うため、舞台は西側を客席に向けた状態。なので時導師が壁に隠れて皆さんから姿を確認することができない。同時に私から皆さんの様子を見ることもできないわけです。なので、実際の修二会と同じように観音様と向かい合い真摯に祈りを捧げる。それだけでよかったのです。



 あとから聞いた話では、私の声は奥の席まではっきりと聞こえたとのこと。私は北二さんからよくパワー系と評されるのですが、「精一杯の祈りを」と思うとどうしても大きな声になってしまうのです。もちろん、声量が大きいからといって悪いことは無いのですが、細かな旋律や節などを勢いで塗りつぶしてしまうこともあり、これを両立させるにはまだまだ精進が必要ですね。


 晨朝を終えれば堂司さんの「戸を立てー」の声。扉を叩く音を以てこの日の行法は終わりを告げます。火の始末をすれば練行衆は童子さんの「ちょーずちょーず」の掛け声に伴われ下堂。客席からの大きな拍手の音を聞いて舞台袖に掃けていきます。


 しかし、ここで終わらないのが修二会公演。ここからは「破壇」です。急いで着替え、私は弁当を一瞬でかっこむとすぐに舞台の解体に向かいます。私物・公物と分けながら日通さんの段ボール箱にどんどん法具を収めていきます。まさに3/15の「只今上堂」。


 練行衆が総出で事に当たります。あれがない、これがない。これはどこだと現場は混乱の様相をきたしながらも、来週の東京公演に向けて法具の荷詰めを行います。私はこの後すぐに自坊へ車で帰らねばならないため、20時頃にお暇を。せっかくなので無人のホワイエを通り、少し公演の名残を感じながら大雨のなか車と飛ばし、5時間半をかけて帰坊。


 途中の車内では一人、晨朝の声明を口ずさみながら。



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