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権処さんの日記(拾五)

令和5年2月28日



 参籠宿所のすぐ下には湯屋と呼ばれる建物が存在し、ここではお風呂の他、三役の生活の場でもあり、院士らによって食事の準備などが行われる場であり、参籠宿所が完全に清浄な場である一方で、風呂や炊事といった俗事を行う場であるとも言えます。



 湯屋で風呂の準備が整うとお湯布令(おゆぶれ)、駈士が「お湯屋へござろう」と参籠宿所へ知らせに来る。これから毎日、お風呂の時間を知らせにきてくださる。このお風呂はとても大切で、というのも修二会の本行というのはとかく汚れるものです。


 あたまから顔から煤と抹香で汚れちまうわけですよ。また、頭を剃るのもこの時で、私は2日に一度ほどのペースで剃ります。ちなみに昔はこの頭を剃るという行為にもいつ行うのか指定があったそうですが、現在では適用されておらず各々のタイミングで行われています。


 さて、この日のお風呂は他の日のものとはちょいと違う。というのも新入さんがいらっしゃる。新入がいる時の廿八日のお風呂にはちょっとした寸劇のような一幕が繰り広げられるのだ。


(写真 野本暉房氏)


 新入の練行衆はお風呂に直接向かうことができず、閼伽井のほとりにて駈士の案内が来るのを待つというお役目が存在する。かくいう私も一年目のときは湯屋へと向かう他の練行衆を尻目に一人食堂の端っこで駈士の案内を待ったものです。(ちなみにどこで待つのかも諸伝ありこれもどこが正しいのか不明)


 今回は逆に一人閼伽井の方へと向かう処世界さんを尻目に他の練行衆とともに湯屋へと向かう。湯屋の中でも儀礼が存在し、各々蹲踞して礼をした後に堂司が駈士を呼び「閼伽井のほとりに云々・・・」と伝える。


 そうすると駈士が新入の練行衆を連れてきて、そこで改めて礼をしてからお風呂に入ると言った流れになる。


(写真 野本暉房氏)


 しかし、湯屋は目の前のあるにも関わらず、なぜ新入は湯屋へ行くことができないのだろうか。閼伽井とは関係があるのだろうか、もしかしたら新入がいない場面で何かを行う必要があったのか。いや、初めてのことだから場所が分からず道に迷っているのだというもある。


 今のところ私の知る限りでは答えはありません。なので、皆さんも是非考えてみてください。そして、よかったらその仮説を教えて下さい!このように見えている部分から歴史や由来を想像するのも、あまりに長く全容の見えない伝統を持つ修二会ならではでしょうね。


 さて、参籠宿所には西向きと東向きのお部屋が存在する。今回私が参籠するの咒師部屋は東向き、つまり二月堂に向いたお部屋です。この部屋の特長としては日当たりが悪い一方で、梅や椿を愛でることもできるということです。


 今年は気温が非常に高く、すでに紅白の梅が咲き誇り、それを目当てにやってくる野鳥の声を聴くことができます。本年の修二会では、これらの自然の響きにどれだけ心癒されたことでしょうか。


 一方で、咲き始める花を眺める楽しみは無いのだなぁと少し残念に感じたものです。


※今回使用した野本暉房氏の写真は許可を頂いたものて二次使用などは行いませんようお願いします。

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