宿泊してる近鉄奈良近くの駅から歩いて向かうは観音院。東大寺境内に於いて基本的に得度者は真衣(間衣)と呼ばれる簡易の衣を着なければならない。一瞬躊躇したが、そのままの衣体で向かうことにする。
坊さんがかき氷を食べて悪いことがあるだろうか。ましてや境内の中だ。恐れることはない。
観音院では朝から長い列が出来ていた。天候は晴天。まさにかき氷日より。受付を済ませて中に入ると、いたるところに書画を見ることができる。それはかつて観音院の住職であった上司海雲師のものが多く見受けられた。
しかし残念なことに、ほとんどの方はかき氷に夢中になっていて、それらの存在に気づくことは無い。ひたすらに、美しいかき氷の写真を撮ることに夢中になっている。
少々のもどかしさを感じながら、私もかき氷が眼前に到着すると溶ける前に写真を撮らねばとの使命感に身体を支配されたのだった。これは致し方がない。現代人とはそういうふうにできている。
せっかく素晴らしい「ほうせき箱」のかき氷を頂いたのですが、寒い部屋でカタカタとキーボードを叩きつけている今のこの身からかき氷の感想は「冷たくて美味しかった」以上のものが生まれそうにありません。申し訳ございません。夏にまたいただきに伺います。
さて、気を取り直して二日目のお稽古では「晨朝」「半夜」の稽古を中心に行う。これらは六時の中でも「小時」と呼ばれ、かなり簡略化された声明だ。修二会の行法で唱えられる声明は六種類あるが、実のところ唱えている文言は同じで、省略や節が違うに過ぎない。
悔過作法ではもともとの経文を切り貼りして構成されており、如来唄や供養文を含めかなりの省略がなされている。大時と呼ばれる初夜であって例外ではない。特に有名な「南無観」はもはや芸術的な色合いさえ感じさせる省略だ。
しかし、「半夜」「晨朝」はダイナミックな省略がなされる。その例として阿弥陀如来の称名を見てみよう。
初夜、後夜
「観音本師阿弥陀如来」
〈初夜〉
〈後夜〉
日中、日没
「南無阿弥陀如来」
半夜、晨朝
「南無阿」
〈半夜〉
〈晨朝〉
いかがでしょうか?一つの文言を聴き比べるというのはなかなかできませんが、Youtubeという文明の利器によって可能となりました。そして、私が苦戦する理由もわかっていただけたのではないかと。
かなりスピード感があり、リズムで覚える他ないのです。ガワ(後から皆で合唱しているパート)として参加する際には楽しく、高揚感を持って臨むことができるのですが、先導するとなるとかなりのプレッシャーです。
そして、間違えてもガワからは正しい文言が返ってきます。なので即座に軌道修正する必要があります。ちなみにあまりに元気よく間違えるとガワさえも釣られて間違えます。私は元気がよいのでたまにガワも巻き込んで間違えます。大事故です。
もちろん、この一日でこれを身につけることはできませんので持ち帰って宿題です。この後のお稽古は2021年のホテル隔離でみっちり行えることになるのですが、この時はまだ知る由もありません。
帰りがけに以前からお参りしたかった「海龍王寺」さんに立ち寄り、美しい十一面観音様とイケてるご住職様にもお会いすることができました。
写経やお堂の勧進についても伺い、帰ってから写経を送っていただいてお納めしましたが、こちらの写経のお手本がまた素晴らしく、しばらくそのまま飾っておりました!
海龍王寺から少し北へ向かい、木津川をなぞるように東へ。途中、伊賀城など巡りながら帰路へ着きます。
そして忘れてはいけないのがこれ。「赤福氷」です。上りの御在所SAは伊勢の店舗を除けば数えるほどしかない赤福氷の提供店舗の一つ。夏の奈良参りにはこれが欠かせない!こうして私の奈良旅はかき氷に始まり、かき氷に終わる。そんな夏の処世界さんの一幕でした。
今度は、権処世界さんの日記が始まるのを楽しみにしています。修二会に携わる練行衆の方のリアルなお姿を垣間見られて、修二会だけでなく、お寺やお坊様を身近に感じることができました。