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処世界さんの日記(弐拾六)

令和二年二月二十九日



 朝は「ごぼう」と「げちゃ」。いわゆる茶粥である。

〈参考〉茶粥の作り方


 「世に奈良茶碗というものがあるが、これは茶粥を食べるための茶碗なのだ」と南衆さんが自慢げに蓋のついた奈良茶碗を見せてくる。朝ごはんは必ず茶粥であり、おかずは沢庵と柴漬けなど。私はこれらが好きで必ず多めにいただく。


 朝食に用いる茶碗は持参で先の南衆さんのように蓋のついたものが好ましい。もちろんそんな事は知らないので私は龍松院から茶碗をお借りした。かなり大きめだ。たくさん食べれる。すでに食いしん坊というイメージが固定されている処世界さんだが、私が好きなのは白米である。


 先のリンク先で見れると思うがほうじ茶で炊いたご飯で汁気の無くなったものを「げちゃ」、汁気の多いお粥を「ごぼう」という。しかし、ここでは冷や飯を用いる。冷や飯の上に熱々の「ごぼう」をかけるのだ。実はこの冷や飯もうまい。熱々のほうじ茶汁で食べると、お粥と云うよりはお茶漬けのよう。柴漬けをちょいと乗せるとより美味しい。


 もちろんこれは私の好みで、練行衆によっては「ごぼう」だけをオーダーする人もいる。それに答えるのは仲間さんだ。私の場合かってに大盛りになる。ありがたい限りだ。


 さて、本日のイベントは引っ越しである。まず始めに先日花付けを行った椿の枝から運び出す。処世界童子を中心に縁側から外へと搬出。ちょっとした拍子にせっかく付けた椿が落ちてチリになってしまう。もったいない。


 これが終わると各自が大忙しの引越し準備。まず、不要なものはどんどん自坊へと下げる。私の場合はお隣の華厳寮だ。もちろん私自身は外に出れないので童子さんに依頼するのだ。


 荷造りの方法はちと変わっていて、全て布団の中に入れ込んで運んでもらう。時計や下着類、小物入れなど私物を敷布団の中に入れ込む。布団は緩衝材代わりだ。この時の決まりごとで、掛け布団は別なのだ。これはどういうことかというと、本来であれば敷布団も掛け布団も全てつづらの中に入れて運んでもらうそうだが、最近の人間はでかいのか、規格が変わったためか布団が大きくなりつづらに入らなくなってきたそうな。そこで敷布団は先に持っていき、掛け布団だけつづらに入れて運ぶようになったとか。


 その他、硯箱を始めとして私物を風呂敷に包み、それぞれにこよりで名前と宿所の名前を書き入れていく。(文頭の写真の通り)処世界であれば「大導師宿所処世界」と書く。郵送の宛名のようなものだ。皆が一様に同じような物を持っているから区別するための措置である。仙花紙の切れ端を用いていくつか作っておくのだ。


 午前中の内に殆どの支度を整え終える。だいぶものが少なくなり、見通しが良くなる。そうすると数日しかいなかったのにホコリがだいぶ溜まっているのが目につく。何故かと云うと紙衣のせいだ。和紙を合わせて作られているこの衣は、始めのうちはこすれると紙の綿のようなものが出来てしまう。なんとなく紙の繊維が綿のようになって落ちていくのだ。それが11人分。ほうきで掃くとホコリが舞うのはそのためだ。


 ほこりといえば、このあたりになると花がムズムズしてくる。そう、花粉症の始まりだ。今年は皆さん常にマスクを付けて生活していたので忘れているかもしれませんが、昨年までは日本人がマスクをつけるシーズンというのはこの3月ごろからの花粉症シーズンくらいのもの。ここから私のマスク生活が始まったのです。


 別火坊の裏手には、大きく立派な杉があり、花粉をたくさんつけている。これほど苦々しい気持ちにしてくれる木はそうそうそうないでしょう。二月堂に行けばそれは立派な良弁杉がある。はたしてあの杉は花粉をつけるんだっただろうか?そんなことを縁側で考える程度には時間的な余裕がある。


 そうこうしていると、衆之一さんがやってきて「処世界や、『南無最上』は習ったか?」と。「そりゃなんですか?」と問うと難しい表情。NHKで修二会をご覧になった方は覚えておいでだろうか?『走り』の行法において、処世界が高らかに唱える「南無最上」とそれに応じてゴーンゴーンと鐘を鳴らす堂童子の掛け合いを。


 そう。修二会の中で処世界最大の見せ場と云われるソロでの「南無最上」。しかもこれは内陣から礼堂に向かって行うため、気分はさながら舞台俳優。緊張の一場面だ。しかし、この時点での処世界さんはそんなもの知りません。「南無最上」など、いつどこでどのように使うのかはわかりません。ただ、もらった次第の隅に申し訳程度に節の記号が書いてあるのみ。そんなに重要なお役目とは思いもしません。


 衆之一さんは悩みます。衆之一とは平衆のトップであり、時導師などの声明の稽古もこの衆之一さんの取り仕切りのもの行われます。会社組織で言えば部長的な役職と言えましょうか?


 「うーん、これも俺の役目か」と廊下で南無最上の伝授と相成りました。衆之一さんも今回が初めてのお役目。どこまで手を出して良いのかはかりかねているご様子です。しかし、この声明は別に処世界だけが唱えるわけでは有りません。和上から始まり、全ての練行衆が順番に「南無最上」と歩きながら唱えます。この時の声明は差懸の音のためあまり聞き取れません。そして最後に全員の足が止まり処世界。故にお堂にその声が響き渡るのです。


〈参考 令和三年の処世界さん南無最上〉


 こういう伝授の時は通常、一対一で行いますが場所が廊下、しかも他の練行衆もやることが少なく所在無い感じなので何名かの方が一緒になって教えて下さいます。数珠の持ち方や、くり方なども決まっており、まず数珠の母珠を上にして上方に突き出すように持ちます。「南無」で右手で珠を下へ繰って行きます。「最」で上の方へ繰っていき、「上」で前に突き出すように礼をするというものです。


 映像をみると動き見えませんが、礼堂で聴聞するとその様子を見ることが出来ます。また、よく聞くと「上~」の部分で音がくぐもって聞こえるのがわかりますでしょうか?

ちょっと苦しそうですよね(笑)。これは礼をしたため姿勢により喉が少々狭まったためなんです。


 礼の仕方や、念珠の繰り方、動き之確認を話し合っているうちに掃除も終わり、昼食の時間が差し迫ってきた。食べ終わればいよいよ引っ越しの始まり。今日はここからが忙しいのである。


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