令和二年二月二十九日
お風呂が終わり、夕食をいただく。夕食を食べるというと「あれ?」と思う方もいらっしゃるでしょう。修二会の本行では正式な食事はお昼の一度だけ。それは「不非時食戒」(決まった時間以外で食事をとっては行けない)のためです。
午後以降は食事はもちろん水を飲むことも出来ません。この「水を飲めない」というのが辛い!というお話はどの練行衆からも聞くことが出来ますね。行中は大きな声を出しているわけですから、喉が渇くのも致し方なし。
しかし、これは本行に入り「授戒作法」を経てからのお話。すでに参籠宿所入りしているとはいえこの時点ではまだ午後に食事を摂ることができるのです!ちなみに、この「不非時食戒」ですが、私がスリランカのお寺でお世話になった際もこの戒律に従って生活しておりました。しかし、上座部では水分は摂ることは問題ないということで、午後はチャイ(粉末のミルクティー)やフルーツジュースをよく飲んでいたものです。
食事も終わり、しばらくすると「天狗寄せ」と呼ばれる作法がある。正式には「大中臣祓(おおなかとみのはらえ)」と言う。時刻は18時頃。辺りは暗くなるも、まだ周囲からは人の声が聞こえる頃です。
時間になるまで部屋で待機。これからの本行に向けて次第や処世界日記を見直すも、やはり何が何だか分からない。特に用語。この日記もそうですが、修二会というのは独特の用語や、日常ではお目にかかれない様々なお道具が現れるためなかなかイメージがつかみにくい。
それらの作法や道具の多くは古くから長い時間を超えて伝わり残されているもので、逆に言えば外の世界では時代によって淘汰されてきたものです。だからこそ、それらを色濃く残す修二会は私達にある種異質な景色を私達の前に見せつけてくれます。
そして、その異世界に入っていくことで、感じられる体験の行法だと思います。それは練行衆も聴聞の方も同じでしょう。NHKでこの行法を知られた方が、興味を持って修二会に参加してくださることを私は切に願っているのです。
今年も間もなく練行衆の発表がありますが、聴聞の可否については未だわかりません。いくら私が筆を尽くしたところで、この行法の本質は体感であるので全てを伝えることが出来ません。これからお話する本行では、触れなければわからない物事の連続です。どれだけ伝えられるか不安ではありますがお付き合い下さいませ。
駈士の「お祓いにござろう!お祓いにござろう!」という声を合図に、練行衆は細殿(ほそどの)に出て一列に並びます。修二会は奈良の時代から続く行法であり、奈良の世というのは神仏の力関係が未だ神に寄っていた時代です。ですから、僧侶も祓いは欠かさず行い、神事としての修二会に臨む必要があるのです。
修二会では参籠するためには「服忌令」に従い、忌服の期間でないことが求められます。故に、12月の発表で練行衆に決まった後に親族の訃報を受け急遽参籠が取りやめになるということも起こります。これも修二会が神事であることの証左でしょう。
本行の開白を目前に、咒師が神職の役割を担い練行衆の祓いを行うのがこの作法です。参籠宿所の前には松明が焚かれ、厳かな空気の中で咒師が詞を朗々と読み上げ、御幣を振ります。この作法が「天狗寄せ」とも呼ばれるのは、かつて二月堂は天狗のいたずらによって全焼したというお話があるからでしょう。二月堂に住む天狗への挨拶のようなものでしょうか?実際に二月堂で天狗を見たというお話は方方から聞こえます。
これが終わるとすぐに就寝。18時半頃でしょうか?起床は0時45分。これらの伝達は事前に湯屋で行われています。しかし、こんな時間に寝ろと言われてもこれが中々寝付けない。しかも、この参籠宿所はみなさんが思っている以上に温かい。頭の上には炉がありますしね。
建物の骨組み自体は室町時代のものだと云われていますが、昨今の修復によって気密性が向上し、隙間風に悩まされる心配も有りません。保温効果もバッチリ。故に一酸化炭素中毒などには十分注意しなければなりません。
さて、何が言いたいかと言うと寝れないんですよ。枕はいつもどうりですが、慣れない場所と寝苦しさと緊張で。暖かさを重視した結果、逆にあたたかすぎて眠れない。二月堂参籠宿所のほうが別火坊より標高は高いのですが、前述の理由から寒さは感じない。寝なきゃ!と思えば思うほどに寝れない。練行衆にとって睡眠は何よりの資源。特に処世界さんにとってはなおのこと!
1時間ほどトライするも諦めて、一度手洗いへ。冷たい風に当たることで汗も引きます。お手洗いに行く時は同室の大導師さんや童子さんを起こさないように細心の注意を払います。なにせ木戸ですからひっかかってガタガタ音がする。なので大工さんなどが用いる「蝋」を塗るなどしてこれらも工夫する必要がある。全ては快適な睡眠の為に。
部屋の前には、パチパチと音を立てる焚き火があります。しばらく、ボーッと眺めていると不思議と心も落ち着いてくる。「火」というのは不思議な力がある。修二会は「火」と「水」の行法ですし、密教儀礼においても「護摩」など炎を扱うものは今も昔も人心を惹きつけ続けています。
この焚き火の火もまた清浄な火。できる限り絶やさないよう気をつけるのも仲間や童子の仕事です。大きく息を吐いて、不安な気持ちを吐き出す。吐き出した不安は、清浄な炎に燃やしてもらう。
すっかり体は冷えた。きっとすぐに眠ることができるだろう。
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