処世界さんの日記(弐拾七)

令和二年二月廿九日







 お引っ越しのスタート!


 ただし、お引越しするにも作法がある。別火坊から参籠宿所に移るということはより一層清浄な世界に入るということ。そのため持っていくものは香薫、すなわちお香で清める必要があるのだ。


 大広間の奥に、大きな火舎香炉を置き、その煙にくぐらせるように持ち物を次々と薫香してくのだ。それはまさに流れ作業。練行衆が荷物を手に持ち、香炉を時計回りに一周しながら煙に私物をくぐらせる。その姿は流れるプールを思い起こさせるよう。


 香薫が終わったものは一部はつづらの中に、一部はそのまま童子に渡して搬出してもらう。これは一気に行われるためてんやわんやの大騒ぎ。もちろん私語は慎む。静かにバタバタ。


 一通り搬出が終わると、「テシマ縁(へり)裁ち」の作法。和上から順にテシマゴザを加供奉行に渡すと、加供はそれを捧げ持って部屋の入口まで行く。そして、また戻ってつづらの紐に挟む。かつては実際にテシマゴザのヘリを裁って整えていたそうだが、今ではその形式だけが残っているという。


 それ自体は形骸化した作法ではあるが、そこから加供・仲間によるつづらの香薫、貝の吹き合わせ、行水までが一つの流れとなっている。それらが終わると用意しておいた上堂用の衣が配られる。上役の方々は紫色の素絹。平衆がたは真っ白な素絹。私は麻のチャンブクロ(裸足)。


 ただ、この際の衣服は下から肌着・襦袢・白衣・紙衣・湯屋小袖・素絹(チャンブクロ)・五条袈裟となっており、かなりもこもこなのである。此の日は雨で気温もだいぶ低かったためそれでも問題なかったが、気温の高い日であれば二月堂の参籠宿所まで歩くだけで汗をかきそうだ。


 このあと、「大懴悔(おいさんげ)」を唱えるのだが、もちろん処世界さんは何も習っていないので黙読である。これは後の本行で唱えることとなるが、節がついているのでこの年は全く読めなかったのだ。今も、少々…いやかなり自信がない。


 最後に「追い出し茶」と言われる番茶をいただき、これにて無事「別火」終了である。長かった。本当に長かった。2月15日から籠もり、15日間ここに住んでいたのだ。もはや別火の日々が日常のように感じられていた。ようやっと本番が始まり、また新しい世界に足を踏み出すのだと思うとワクワクが止まらない。







 番傘をさして、和上を先頭に大仏殿裏の道を登っていく。その最中には新聞記者の他、修二会好きの方々がカメラを手に動き回っているのが目の端に映る。別火坊出発の瞬間を捉えたならば、次は大仏殿裏の行列撮影。二月堂下の参籠宿所で娑婆の僧侶たちに挨拶する姿と、走って撮られている方もいらっしゃったご様子。


 SNSでも感じますが、修二会という行事が本当に多くの方に愛されている行事なのだとしみじみ実感します。しかし、こうして知らない方々から撮られるのはなんだか今までにない体験でかなり気恥ずかしいものです。


 二月堂の北階段の下にある参籠宿所。2月の最後の日から3月15日のお昼まで練行衆はこの空間で衣食住の全てを過ごします。この参籠宿所は室町時代後期の建てられたとされているが、参籠宿所自体は平安時代後期頃から存在し、現在の建築は鎌倉時代のものの再建ではという見方もある。しかし、1270年という歳月があまりにもスケールが大きすぎて、「ほう、室町の建物かそんなに古くないのかな?」という錯覚さえ起こす。


 食堂の前には娑婆の方々がお出迎えをしてくださる。別火坊から歩いてきた練行衆は一様に礼をして参籠宿所に入っていく。宿所に入るとそこには先程送り出したお道具がきれいに配置されている。というのも、実はこれは娑婆の方々の仕事なのだ。


 香薫した諸々のお道具は童子によって続々と参籠宿所に運び込まれる。しかし、童子がそれらを道具においそれと広げて云々するのは難しい。そこで、宿所内の設えをよく知っている、今回参籠しない修二会経験のある僧侶たち(古練と呼ばれる)が行うのである。参籠宿所は狭く、あまり明るくはない。それ故に長い歴史が詰まった雰囲気を全身で感じられる空間である。古練によって設えられた宿所は入った瞬間、別世界に入り込んだような緊張感を覚える。一瞬、息が詰まるようだ。


 改めて同室である大導師さんに「よろしくおねがいします」とご挨拶。大導師の上司永照師が優しく、そして頼りになる笑顔で迎えてくださったことで少し緊張を解くことが出来た。上司永照師は私の父が加行をしていた際に非常にお世話になったということで、私自身も小さい頃からとても可愛がってくださいました。私の加行中もお世話になりっぱなしで、修二会の初参籠にまでお世話になるとは…。本当にありがたい限りです。


 こうして無事参籠宿所での生活が幕を開け、緊張と不安を抱きつつ、大導師さんを始め先輩僧侶に支えてもらいながらの本行がいよいよ始まります。


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