処世界さんの日記(四拾弐)

令和二年三月五日



一、念誦之間ニ硯箱ヲ持テ堂司ニ従南座ヘ行キ中灯ノ前ニ蹲踞シテ居ル。又北座ヘ行キ中灯ノ前ニ居ル。堂司ノ座ノ前二又居ル。字連相済硯箱ヲ本ノ如ク置キ座ニツク


 この日の処世界さんは他にも様々な仕事がある。修二会の期間中には「字連」と言われる署名のタイミングがある。交名帳に四職の参籠の署名を求めるのだ。これは上七日の分で、下七日の分は14日に行われる。なぜこのタイミングなのかはわからない。


 交名帳の管理は堂司が行っているので、堂司が他の職に署名をしてもらいに行く。処世界はその後ろに硯を持ってついて行く。それだけのお役目だが非常に記憶に残っていることがある。それは和上さんの署名である。奉書紙を受け取り、紙を手に持った状態でさらさらと名前を書かれていたのだが、その筆使いがわからなかった。


 隣にいらっしゃる大導師さんも「いやぁ…流石です」と感嘆の声を漏らす。処世界さんは書もそこそこにやっていますが、「どうしてそうなるのかわからない」という衝撃的な体験であったことは今でも鮮明に覚えていますのでここに書こうと思った次第です。


走之時

一、処世界ノ「長最上」之時大導師ノ前ノケツ柱ノ前ニテ最上ヲ唱ヘ堂童子念珠ヲ見ルト鐘ツキ出ス 口傳之有


 さて、この日のもう一つのイベントは「走り」の行法です。これは実忠和尚が天女達が行っていた行法を人間界でも再現したいと望んだ時に「時間の流れが違うからできない」と断られたのに対して「走ってでもやります」と宣言した逸話が元になっているそうです。お堂の中を僧侶が走り回る作法というのは見た目も不思議ですが、体験してみますとやはり不思議なものであるのです。


 走りの作法について一つ一つ説明していくとそれだけで文量がものすごい事になってしまいますので、いつか「走り」についてお話する機会を設けたいと思います。今回は処世界さんの役目についてのみお話しましょう。走りにおいて処世界さんには大きな見せ場があります。それが「長最上」です。


 長最上とは、読んで字のごとく長く「南無最上」と唱える作法のことで、和上から始まり、大導師、咒師…と順々に唱えながら内陣をぐるぐるとあるきまわります。そして、最後の処世界は戸帳の近くで立ち止まり、礼堂の堂童子に向かって高らかに唱えあげます。それまでのガタガタという差懸の音は止み、静寂の中で唱えあげられる「南無最上」の声は二月堂内に響き渡ります。まさに処世界最大の見せ場。


 その時の景色はよく覚えています。ちょうど礼堂から向かって右側に立ち止まる。そうすると、礼堂にて鐘を撞かんと待ち構えている堂童子さんと北側の席に座っている聴聞の方々のお顔がよく見える。そう、この作法というのは礼堂に向かって唱えあげるという点で修二会の中でもとりわけ異色では無いかと思うのです。


 これは修二会が内陣だけで完結する作法でなく、内陣という聖域と礼堂という俗世を行き来するという構図で作られていることを表しているのでは無いかと感じます。故に礼堂もまた道場で、そこに聴聞の方々がいらっしゃるということは、聴聞に来られている皆様もまた「行」への主体的な参加者であると私は考えています。


 この考えは特に「昨年」から私が強く意識しているもので、何も僧侶だけが祈りを行っているわけでなく、練行衆の家族や支えてくださっている信徒の方々、二月堂に携わる全ての方々、そして聴聞に来られている礼堂・局の皆様の全員が修二会に参加されている。これは修二会に限らず、すべての行事に共通していることと思います。ですから、当山の法要でも「参加すること」「ともに祈ること」をとても重要な「行」であると考えています。


 なぜ、そのように昨年考えたのか?それは2年めの「長最上」を唱える時、そこには皆様のお顔がなかった。そのことが強く胸を打ったからです。この疫病禍の中で修二会に限らず多くの行事が参加者を減らし、行事そのものも潰えてしまう現象が世界各地で起こっています。これは本当に悲しいことと思います。聴聞の方がいらっしゃらないというのはどういうことなのか。その事を強く実感した瞬間がこの「長最上」であったのです。


 来年、聴聞の方がまた入ることができるのであれば、このたった一人の「長最上」を経験したのは私だけということになります。しかし、この経験は得難い気づきを私に与えてくださいました。また、昨年は修二会の中継などさまざまな試みが行われ、行を終えてからSNSを通してカメラの向こう側でともに祈ってくださっていた方々と触れ合う機会が得られました。今年はまた違った気持ちで行に挑むことができるのではないかと思っています。


 さて、走りの行法についてもう少しお話しますね。走りとは内陣を練行衆が走り回る作法で、走り始めると堂司から順に五体を打ち自席へと戻り、「上数」「下数」と呼ばれるお役目の二人は咒師が合図するまでぐるぐると回り続けるといったものです。(なので何周するかは咒師さんのさじ加減なのだとか)


 この走りであるがいくつか決まり事がある。一つは走る時の衣だ。法衣を来た状態で走り回ると、袖やら何ならヒラヒラとして走りにくい。そこで、走り始める前に少しずつ袈裟や衣をしまいこみ、最後には袖をぐるぐるっと腕に巻きこむ必要がある。この時に白衣などが見えてはならないし、重衣もピラピラさせてはいけない。これが難しい。


 私は初めてのことなのでうまくできず、どうにも袖が飛び出ていたようで、走っていると先輩練行衆が座から飛び出て一瞬で直してくださった。この走りのフォームは未だにうまくできない。要練習だ。


 もう一つの決まりは足音を立てないこと。理由はわからないが、かかとをつけないように意識してなるべく足音を立ててはいけないそうだ。ちなみに処世界さんはそんな話知らないのでこの日はずんずんと走り、後になって「あんなに足音立てちゃいかんだろう」と言われた。


 この日の処世界さんは上数でも下数でもないので労すること無く走り終える。全員が席に着くと香水をいただける。その際に権処世界・中灯が礼堂にも香水を配るのはお水取り名物だろう。走りの行法のときにだけこのイベントがあることを知らない人もいるのではないでしょうか?ちなみに私は知りませんでした。一度、聴聞に来た時「今日は香水もらえないんだなぁ」と残念に思ったことも。


 こうしてイベント盛りだくさんの一日を終えて、参籠宿所に戻ると床に就くのは三時を回っている頃だ。本当に長い一日であった。


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