処世界さんの日記(四拾参)

令和二年三月六日





 この日は常のごとくであるが、気を抜いてはならない。この頃に成ると初夜の前の掃除も大分と楽になってきた。要領をつかみ、どうすればよいのか頭の中で段取りができ始める。


 ちなみに今日は初めての晨朝の五体投地があたっている。五体投地はその時によって少しずつ回数や作法が異なるが、晨朝は特殊だ。和上の合図で礼堂に飛び出し、五体板まで駆けていきダン!ダン!と連続で2回打つ。頭の中ではわかっていても素早くやらねばと思うとどうしても焦ってしまいます。五体を打つと微妙な音。ダン!ドコ…。一日の行法の締めとも言える晨朝での五体はなんとも締まらない感じになってしまった。先はまだ長いので次回に期待である。


令和二年三月七日


 日中は「数取り懺悔」これは5日にも行っていたのだが、行法の中での過失を懺悔する作法だ。例えば、居眠りをしてしまったり、余計なことを考えていたり…だ。行法に集中していなかったことを懺悔する。その方法はやはり礼拝だ。念珠を擦りながら上半身を使って一心に礼拝する。


 回数は三千回だ。もちろん、本当に三千回行うのではない。それだけで日が暮れてしまうし、身体が持たない。堂司が「一遍、二遍…九遍」と数を数えると次は「十遍、二十遍…」といった具合で増えていく。千遍まで数えると四職は座る。次の千遍では南ニまでは座る。処世界、権処世界、中灯は最後まで懺悔。まだまだ修行が足りないということだ。


 ちなみに処世界さんはこれで腰を痛めた。懺悔の気持ちが強すぎたようだ。


 日中が終わると一度下堂し、お風呂。お風呂の後に「牛玉誓紙」への署名がある。これは1400年頃から続く伝統で、新入の処世界が必ず行う。修二会では内陣にて「牛玉札」と呼ばれる御札を刷ります。これは漢方の牛王を溶かした墨に香水を加えて版木で刷るもので、特に病気平癒にご利益があります。そんな威力の高い御札ですが、刷ることのできる御札の枚数が決められています。


 これはその昔、御札をたくさん刷って問題になった者がいたとかで、多く刷ってはならないという誓約書にサインしなければなりません。この誓紙は長い巻物の様になっており、すべての練行衆がこの紙に署名を行います。この時に花押も併記するため、私は別火に入ってから急いで書道の師匠に連絡して花押を考えていただいたものです。


 さて、この誓紙ですが、非常に貴重なものです。ちらと見ただけでここ100年ほどの東大寺の塔頭僧侶の署名が見て取れます。どなたも達筆なことこの上なし。遡ると公慶上人の署名もあるそうですが、それを見ることは叶わず残念…。しかし、この署名は修二会の続く限り残るということですから、緊張感をもって挑みます。……墨が薄かった。


 改めて上堂して日没の行法。ちなみにこの日の日没をもってハゼ撒きは終わる。これだけで処世界さんの仕事量はだいぶ減る。名残のハゼだと衆之一さん。しかし、安心はできない。なにをどの順番で行うのか頭でイメージしておかないと直前になって走り回ることになるのは今までの経験から分かっている。


 日没の時が終ってもこの日はすぐに下堂とは行かない。掃除が終わると鐘をついて再び四職を迎える。ただ、この時の処世界さんはだいぶ慌てていたようで、内陣から出てそのままの調子で鐘をついた所、足を滑らせてさながらターザンのようにスイング。転ぶことはなかったものの聴聞の方々の前で無様を晒す。四職の皆さんも目を丸くされていた。横着してはいけないのだ。


 特にこの日は多くの方が礼堂と局に詰めかけていらっしゃる。というのも、小観音さんの出御がある。これは何かというと、修二会の行法が前後半で「上七日」「下七日」に分けられていることの関係します。修二会では前後半で行法の趣が大分変化します。その最たるものが「本尊」の交代です。


 修二会の本尊は十一面観音ですが、その尊像は二体いらっしゃいます。須弥壇の中央の大きなお厨子に入っているのは等身大と言われる「大観音」さん、そしてお神輿サイズの御厨子に入っているのが「小観音」さん。ともに現在では絶対秘仏とされ、そのお姿を拝見することはできていません。

 初めの一週間は大観音さんがご本尊で、小観音さんは内陣の背部に安置されています。7日はその小観音さんを一度礼堂に出して、改めて正面に据える儀礼を執り行うのです。そのため、随喜される僧侶や雅楽の演奏者、ひと目見ようと訪れた大勢の信徒の方々、その前でターザンのようにぶら下がる処世界。にぎやかなものです。


 小観音さんの乗った神輿を礼堂に安置し、荘厳して「一夜餅」と呼ばれる壇供をお供えする作法が有り、これは中灯さんが担当します。そして、処世界さんは小観音さんの荘厳具を持って付いていきます。これがなかなか重い。腕はプルプル。


 また、この荘厳の際には灯りとして松明が堂内で使われる。この松明は初夜上堂の松明ほどではないが中々の大きさ。こんな大きな松明を室内で使うなんてことが許されるのだろうか?と不思議に思うほど。この松明に明かりが灯され、私の真後ろで燃やされる。熱い!熱い!


〈参考 奈良倶楽部通信 様〉

http://naraclub.blogspot.com/2010/03/2010_07.html


 最後に、小観音さんに礼拝して下堂となる。しかし、そこは処世界。この日も下堂などない。処世界部屋で待機の後、初夜の準備へと向かうのだ。


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