処世界さんの日記(四拾六)

令和二年三月十二日



 この日も日中に「数取り懴悔」が行われる。懴悔を終えてから帽子を受け取る。そう、「達陀帽」である。達陀帽とは、12、13、14日に行われる「達陀」という不思議な儀礼において練行衆がかぶる帽子のことである。15日には子供にこの達陀帽を被せて、息災と成長を祈る行事などが行われます。


〈参考 達陀帽いただかせ〉

https://www.youtube.com/watch?v=xOoDAuFbsjg


 練行衆が行中に用いた道具などは、厳しい行をやり遂げたことから無事息災のご利益があると言われています。特に「後年帯」と呼ばれる紙衣と同じ素材でできた帯は妊婦の腹帯と一緒に用いることで安産祈願のお守りとなるとされ、かつては二月堂でも貸し出していたとか。当山でも信徒の方で希望される方には貸し出すことにしております。(まだ2本しかありませんが)


 日没が終わると「牛玉結界」をお厨子の周囲に施します。これは灯心つりとも呼ばれ、灯心(い草の茎でできた灯明の芯)を結んだものでお厨子をぐるっと囲うもので、柱の上の方にくくりつけます。脚立を用いて体重の軽い方が高所での作業を行うのですが、今回は権処さんが上に、私は下で脚立を抑えるお役目。


 この牛玉結界は「達陀」に合わせて張られるもので、火災よけの祈願であると言われている。始め私は「達陀」では火天などの諸天を勧請するため、天部の神々が悪さをしないように十一面観音の周囲を結界で囲っているのではないかと考えたが…。


 しかし、この灯心であるが極めて脆い。そうすると何が問題に成るかといえば、処世界さんの掃除の竹箒だ。極めて長く、ちょっと扱いを間違えると上の方にかかっている灯心を切ってしまうことがある。そうなるとまた脚立を持ってきて結び直さねばならない。もちろん、処世界さんは灯心を切ってしまいご迷惑をおかけすることに。やるかもしれないことは大抵やってしまう。


 準備が終わると「八天習礼」。達陀の初めには八天が現れ、それぞれ火や水などを礼堂に撒く。もちろんそれぞれ練行衆が行うので、だれがどのように動くのか一度確認する。処世界さんは法螺だ。他にも松明の持ち方や、水天の立ち位置の確認などこの時間で行う。それが終われば下堂。もちろん処世界以外。処世界は居残りだ。


 この日は処世界も松明を伴って上堂するが、やることは常と変わらない。初夜の準備をして案内を待つのであるが、この日はかなり余裕がある。夕空が美しく、警察の誘導などを聴きながら案内の到着を待つ。この日は通常と違って加供奉行以外が案内にくる事がある。大抵は若い仲間なので誰が来るだろう?など院士さんと少し会話。普段は処世界童子が控えているが、松明上堂のためいつも食事を作ってくださっている院士さんが代打だ。


 この間、下では様々な動きがあるようだが処世界さんはまだ知らない。今も知らない。出仕の案内を受けると常のごとく鐘を撞く。権処世界さんが堂内にいらして鐘つきを交代したら内陣へは入らず、早足で下堂する。松明とすれ違う時は端によって蹲踞。きっと皆さん松明に夢中で、処世界が階段を駆け下りていることなど気づかないことでしょう。


 食堂の裏で待機する。処世界はここで初めてお松明を見るわけです。大きな炎が二月堂の欄干から躍り出る。コロナの影響があるとはいえ、多くの方が詰めかけお松明が回るたびに歓声が上がる。今では懐かしくさえ思える景色ですね。自分が内陣に引きこもっている間、これだけの人が来ていて、これだけの盛り上がりが起きていたことを改めて実感します。


 南ニさんの上堂の次が処世界です。松明を伴っての上堂と言っても、練行衆はただついて行くだけ。この瞬間の主役は童子さんに他なりません。処世界童子は14日間でこの日だけがお松明を持って上がれる日です。ベテランの童子さんが横でサポートに付きながら一歩一歩階段を上がる。


 階段を上がりきれば松明は欄干のステージへ。その先を見ること叶いませんでしたが、無事にお役目を遂げられたことでしょう。この日は過去帳の奉読もある。本来は南衆さんだが、新過去帳が5日にあったため衆之一さん。ベテランの練行衆であるから、危なげなく読み上げる。


 後夜の時、五体投地に衆之一さんが出るとお水取りの始まりだ。柳でできた楊枝と呼ばれる杖に鈴を引っ掛け、松明に火を灯す。自身の法螺貝を持って、さらに時導師から柄香炉と鈴を受け取って咒師の後ろについて行く。なかなかに手一杯だ。


 南の出仕口から出ると、童子さんと仲間さんが待機している。特に咒師童子は2mを超える大きな咒師松明を抱えている。これが大きく、階段を降りるのにも一苦労だろう。閼伽井に至れば咒師が井戸の中に入る。処世界ら伴をしている練行衆はその際に多い被さるようにして中が見えないように隠す。後は終わるまで待つのみだ。


 咒師というお役目は塔頭僧侶にしか任されない。練行衆の上から四人は四職と呼ばれる。それぞれ和上・大導師・咒師・堂司である。この内、末寺の者がなれるのは「堂司」までである。それより先に進むことはできない。これは、かつての「学侶」「堂衆」の区別があった頃からの伝統だろうか。「堂衆」は堂守のように、お堂で修行や作務を行う僧侶のことでいわゆるエリートである「学侶」とは区別されてきた。いまでは塔頭も末寺も南北で分けることはないが、練行衆の北座と南座は学侶、堂衆で分かれていた。


 そして、四職のうちで堂衆がなれるのは「和上」であり、学侶は「大導師」「咒師」「堂司」に任じられていた。堂衆が一番上の和上を勤めていたのか?と思われるやもしれぬが、和上の役割というのは「授戒」であり、密教修法を行い閼伽井の中に入る咒師や、行法全体を取り仕切り国家安穏の祈願を行う大導師とはやはり趣が異なる。


 そんなわけで、一生入れない閼伽井の先を眺める(何も見えない)。逆にお水を運ぶためとはいえ、中には入れる講社の方々を羨ましく思う次第だ。お水取りの日は天狗風が吹くというがこの日は澄み渡る夜空。月が明るく影さえもくっきり見えるほど。見物の方々も多く、法螺の音も遠くまで届くような思いがする。水取りには良い夜であった。



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