令和二年三月五日
昨日の取材が新聞に載っていた。ぶちゃいくな顔を晒している。記事の内容も私が話した内容をうまく本質を捉えてまとめられており、そうか私はこういう事が言いたかったんだなと感心する。
この日の修二会は普段とは趣が異なる。14日間の修二会の中でも5日、7日、12日、14日は通常の行法とは異なる動きが求められるため負担も大きい。この日は「実忠忌」の法要が初夜の行法の前に行われる。
実忠和尚とは奈良時代の僧侶で、この修二会を創始した。そして、行法の最中に須弥壇の下へと消えたという。法要は東大寺でよく行われる「論議法要」の形式を取る。これは僧侶が経典についての問答をやり取りする形式で、12月16日の「良弁忌」でも開山堂で行われる。
上堂は常のごとくであるが、この法要のため初夜の開始は一時間ほど遅れる。そのため、この日の初夜の行法は「引上げ」になる。引上げとは、声明を一部省略しあり、早く言ったりする。14日間の行法のうち初めの7日を「上七日」、後の7日を「下七日」と呼ぶが、下七日や、5日のような六時の行法以外で取られる時間が多い場合はこの「引上げ」の形式が採用されている。
とはいえ悔過そのものはあまり時短されない。では何が省略されているのか?そう、「散華行道」である。散華において「ハゼ」と呼ばれる米を炒ったものを花に見立てて撒くことは先述したが、それを行うと何が起きるのか想像してみていただきたい。そして、その結果処世界の仕事にどう影響してくるのか。
そう、このハゼこそが、処世界の仕事を最も増やしているのだ。特にこのハゼは至るところから出てくる。皆さんも想像してみていただきたい。家の床に散らばったポップコーン。それを何人もの人が踏み散らかし、それを毎日掃除をする。しかし、物を動かすといつまで経ってももポップコーンの残骸が出てくる。そして、なんでこんなところに入り込んでいるのか?と疑問に思う。
処世界にとってはそれが無いというだけで仕事の負担は別物なのです。それはそうと、引上げではその「散華」が省略形になります。初夜と日没の散華は非常に低く伸びやかな声明で、唱えていると荘厳な気配が堂内を充たします。一方で日中、後夜などはリズミカルでテンポがよく気持ちが上がるような調子で唱えられます。
YouTubeの動画は13日の初夜の行法を撮影したものなので、この声明を聴くことはできませんがお水取りのCDには日没の行法として聴くことができます。聴き比べてみると、その違いは明白。(CDでは繰り返しの回数が少なくなっておりますが、お持ちの方は聞いてみてください)個人的には差懸をダン!ダン!と声明に合わせて踏みしめる後夜の散華が好きですね。
〈後夜の散華行道〉
さて、この日はまだ特別な作法が存在する。それは「過去帳」の奉読である。過去帳はどのお寺にもあり、非常に重要なものとして扱われているのは周知のことだが、この修二会でも過去帳は特別だ。過去帳の奉読は5日と12日の二回行われ、それぞれ南衆、衆之一が担当する。この過去帳は修二会に関連した様々な人々のお名前を読み上げ、供養するものであるが1200年の歴史を持つ修二会であるからその数は膨大だ。今もなおその数は増え続けている。
その膨大な人々の中でも、特に注目されるのが「青衣の女人」である。鎌倉時代に現れたという青い衣の女性の伝説は、修二会の物語においてその不思議さから語られることが多い。聴聞に来られる方の中でも、この「青衣の女人」という一節を聴くために訪れるという方も少なくない。
しかし、聞き逃さないようにするのは難しい。、何分膨大な人名のうちのたった一節だであるし、そこだけ低く言うのであるからせっかく聞き耳を立てていても聞こえなかったという方も少なくないでのは無いだろうか?しかし、その点処世界さんは聞きのがすことはない。なぜなら私の目の前で過去帳を奉読されているからだ。
というのも、本年(令和二年)の五日の過去帳を担当されるのは「権処世界」さんである。五年目の参籠と成る練行衆は過去帳の奉読を任され、これを無事に成し遂げたならば「古練」と呼ばれ一人前の練行衆として認められる。この年が権処さんの五年目の参籠であった。
実のところ、私も過去帳を聴聞するのは初めてである。私もいずれ伝授される時がくるのだという思いを胸に、淀みない権処さんのお声に聞き入る。件の「青衣の女人」であるが、聞き逃さないのにちょいとコツがある。
おそらくベテランの聴聞衆には周知のことでしょうがこの人の名前があることを覚えておいていただきたい。「当寺造営大施主将軍源頼朝右大将」。そう、青衣の女人は源頼朝公の読み上げからすぐなのだ。公は耳馴染みのある名前なのでこれは割と気づく人も多いので、もし今後聴聞される方がいれば参考にしていただきたい。
Comments