処世界さんの日記(参拾)

令和二年三月一日




「おめさああああ!おめさああああ!」


 加供奉行の大声が深夜の参籠宿所に響く。すでに目は覚めており、声を聞いて跳ね起きる。別火坊と同じくこの声を聞くまでおとなしくしている。


 急いで紙衣を身につけ準備を整える。これから行う作法の確認は十分に済ませた。済ませたが、不安だ。本山ではリハーサルも何もない。


 今まで授戒に始まり聖武祭まで、説明もなく放り込まれるのが常だ。習うより慣れろの精神が養われる。百聞は一見にしかずということだろうか。頭で考えがちな私にとっては不安がつきまとう。


 これより行法においては「重衣」と呼ばれる衣を身にまとう。これは令和三年時点での私のTwitterのプロフィールにもしているが、麻でできた黒色の衣である。下には紺色の袴を履いている。これらは東大寺からお借りしたもので、本山の塔頭僧侶は自前のものを持っている。ただし、処世界に限れば、塔頭僧侶であっても借り物を使うという。なぜか。それはこれから日記を読み進めていけば自ずと分かること。


 食堂から鐘が聞こえると、練行衆は細殿に並び、順番に食堂の中に入る。もちろん、深夜のお寺。明かりは無く、暗い中で行われる。中に入ると、「あー、そういえばこんな感じだった」と十年前の記憶が呼び覚まされる。とは言え、何をしていたのかまでは覚えていない。全く。微塵も。


※右の扉が食堂の入口



 どこに坐るのかを差配され、ソワソワしながら席につく。堂司の指示(袈裟タバロ)あって駈士さんから袈裟を受け取り、その場でつける。これが難しい。修二会で用いる袈裟は七条で、構造が複雑だ。それを明かりのない中で着なければならない。これが手間取る手間取る。隣の権処世界さんにお手伝いいただきながら何とかかんとか。本当にちゃんと着れているのか不安だ。


 さて、これより行われるは「授戒作法」である。練行衆は11人いるが、その中でも一番上の役職である「和上」は「授戒師」としての役割がある。練行衆は別火にて身を清めた。しかし、それでは足りぬ。ここで授戒作法を経ることで僧侶としてより厳しい生活に身を置くのである。


 この際に授けられる戒律は「八斎戒」。在家の信徒が一日一夜守るものであると知られている。内容は「不殺生」「不淫」「不妄語」「不偸盗」「不飲酒」の「五戒」にくわえ「不座高大床上」「不歌舞観聴」「不非食」である。在家の通常の五戒では「不邪淫」つまり不倫などの不貞を指すが、ここでは「不淫」となっている。つまり全部ダメ。これは言うまでもない。


 特に「不非食戒」は決められた時間以外では食事を摂ることが出来ないというものである。本行中はお昼以降、食事はもとより水を飲むことさえ出来ないのはこれによる。「走りの行法」でもらえるお香水が甘露のようだと言われるのはこのためだ。とにかく喉が渇く。


 さて、ここで行われる作法について「処世界日記」を参照しようと思う。「処世界さんの日記」じゃないよ。処世界が書写し、各々持っている処世界日記だ。


「授戒

一、食堂ニテ朔日・八日 和上ヨリ諸練悉ク受戒

  先一番ニ諸衆床ニ坐ス「袈裟タバロ」

  和上本尊ヨリ令受戒 自誓受戒

  和上本床ニ帰坐諸衆下床」


 まずは和上さんが自誓受戒、すわなち自分で自分に戒を誓う。この作法は松明に照らされながら行うのだが、特徴としては鐘の代わりに石を叩くことだ。普段の法要でもお坊さんがカンカンだの、チンチンだの音を鳴らしているがこの時はゴッゴッという鈍い音が堂内に響く。


 この叩くタイミングはこの後の練行衆への受戒作法と同じである。処世界さんは後ほどこのタイミングで鐘を叩かにゃならんので耳をすましてその声を聞こうとする。聞こえない。自省受戒であるから自分に聞こえれば良いのでボソボソ声なのだ。加えて松明の爆ぜる音。もう無理だ。


 無論、どこで鐘を叩けばよいのか、処世界日記を頼りにすることはできる。しかし暗い。読みにくい。そうこうしているうちに和上さんの受戒が終わる。次は私達の番。練行衆は座っている席から床に下りる。


 するとどうだろう。鐘が遠いのだ。鐘を叩くための棒の先を持って、届かせる。極めて不安定だ。ミスして所定より多く叩いたりしないだろうかと不安になる。


〈参考〉食堂の配置

http://www.asahi.com/special/gallery/todaiji_omizutori/20130704P001357AR.html


 参考として今後、朝日新聞が公開している写真を使うことが多くなる。(他に公開されている資料があればよいのだが…)この食事をしている3人のうち右側にいるのが処世界。当時の処世界はどなただったのだろうか。


 ここに「鐘」と「棒」が見えるだろうか。これが処世界さんの仕事道具。そして、皆が座っている座から後ろの床に下りて座り、下の方から長い棒で鐘をカンカンと叩くのだ。はたから見れば面白い光景かもしれない。


 今度は朗々と読み上げられる和上さんの声に合わせて軽快に鐘を鳴らす。嘘です。おっかなびっくり鳴らします。無事間違えること無く(確か間違えていなかったはずです)鐘をつくことができ、ほっと胸をなでおろす。


 次に和上さんがこれから守るべき戒を一つ一つ読み上げながら「よく保つや否や」と問いかける。練行衆は「よく保つ。よく保つ。よく保つ」と三回答え行中の持戒を誓う。これは、得度の際の授戒作法に同じなのでなんとなく懐かしい気持ちになる。


 これらが終われば、今一度参籠宿所に戻り、次はいよいよ二月堂本堂への上堂である。

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