令和二年三月一日
立ち止まり、周囲を見渡す。各々灯りをつけると、そこにはなんてことはない堂内が照らし出される。柱、壁、天井にはススがこびり付き、ホコリの舞う空間。しかし、現実感の無いフワフワとした感覚。
写真から、練行衆の坐ってる場所は畳敷きのようになっているのかと思っていたが、実は厚めのゴザを二枚敷いているだけ。そのために想像以上の広さを感じたのだ。
さぁて、処世界の仕事とはなんぞや?それは掃除なりや。他の練行衆たちはテキパキと荘厳の準備を始める。処世界さんはどこにどの荘厳があるのか?どのような順序で荘厳すれば良いのか全くわかりません。なので、ゴザを敷いたり、ホコリを払ったりと力仕事。
実は行中を通してもう一つ、処世界さんにはお仕事があります。それは「灑水(しゃすい)」と云いまして、内陣というのは清浄な世界であり、外部から中に入る際には香水でもってその身を清めます。清めるのは何も人だけではありません。中に入れるものは何でも清める必要があります。荘厳具も一つ一つ荘厳していきます。
この時の荘厳は未完成です。なぜならまだお餅が運び込まれていないのです。ちょっと物足りない感じですね。この後「一徳火」と言われる作法にて堂童子が火打ち石にて火種を作ります。この時の小さな火を元に、修二会の火と闇の世界は描かれるます。しかし、処世界さんは戸帳の内側にいるので、実はその様子を直接に見ることはできません。(Nスペのそれは貴重な映像です)
バチン!白い幕を通して、暗闇に光が走るのが見える。堂童子さんは一回の火打でその火種を作ります。内陣でも「おぉ」と感嘆が漏れる。一発で火種を作るのはなかなかに難しいという事です。
この火を持って、内陣の中央にある常灯に火が灯る。内陣が揺らぐ炎で照らされる。しかし、まだ暗い。そんな中で日中の時が始まる。修二会は一日に6回の悔過法要を行う。一日を六時に分けた「日中」「日没(にちもつ)」「初夜」「半夜」「後夜(ごや)」「晨朝(じんじょう)」である。そのうち「日中」「日没」は昼間の時間帯に行われる。残りはお松明での上堂の後だ。
しかし、開白に限っては深夜に「日中」の時が行われる。そして、その時導師(声明の頭を勤める)は「衆之一」と決まっている。六時の時導師を行う平衆の長だ。この開白での「日中」から2日の「日中」までは時導師の配役が決まっている。「衆之一」以下7人がそれぞれ担当し、非常にゆっくりとしたペースで唱えられる声明は「次第時」と呼ばれそれ以降の声明とは違った色彩を帯びる。
声明悔過は十一面観音の功徳とそのお姿を称える文言で構成されている。そして、一節唱えるごとに礼拝をすることで、我々衆生が積み重ねてきた罪過を悔いる。なにも、礼堂での五体投地のみが礼拝ではない。そして、この「次第時」では一回一回の礼拝で両肘両膝頭を地につける「五体投地」を行う。それ故に、非常にゆっくりとしたペースになるのだ。
「南無毘盧遮那仏」
東大寺の本尊、毘盧遮那仏のお名前から礼拝は始まる。四職を含む10人の練行衆が声を、身体を合わせて如来のお名前を唱え礼拝し頭を額木(ぬかぎ)につける。写真を見るとゴザと床の間に木の枠のようなものが見えるが、これを額木(ぬかぎ)と云い、そのまま額をつけるための木なのである。
10人の声が重なり、響あい。礼拝すると不思議な高揚感がある。念珠をすりあげて、声を腹から出す。全身を使っての祈りだ。その繰り返しは、さながらトランス状態へと行者をいざなう。現実感が薄れ、ただそこには祈りのみがある。あぁ、これが修二会の法要なのだと心と身体で実感した瞬間であり、私の修二会がついに始まったのだ。
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