令和二年二月十八日
朝起きると、まぁ寒い。
この戒壇院の庫裏、通称「別火坊」ですが、近年修理が行われまして、その御蔭で隙間風などがなくなり暖かくなったと評判だったのですが…(今までよりも)暖かくなったということです。
とはいえ、手水鉢が凍ることもあるこの時期は、鋭い冷たさを感じるものです。手あぶりから手が離せません。
さて、今日も今日とて裸足に下駄履きカランコロン。この日の寺役は「二月堂」。処世界としての初仕事が待っています。
二月堂の寺役は、東大寺で行われる常の法要の中でも最も長い。というのも、通常の寺役二回分を行うのです。
そして、前半と後半の間にはティーブレイクがあります。まぁ、すでに別火入りしている私には関係ありませんが。
前年の練行衆はその時間に内陣の掃除を行うのです。月に一度のお掃除。修二会の直前ということで、皆さんすでに臨戦モードです。
さて、後半の直前に処世界の初仕事が待っております。初仕事と大仰なことを申しましたが、実は立って見ているだけ。この日の行事は「油はかり」と申しまして、修二会の本行中に用いる油を納入する行事です。
修二会において「火」というのは非常に象徴的な要素です。修二会において広く周知されている事柄は「お松明」でしょう。ほかには「達陀(だったん)」。NHK-BSで生放送された際も、副題につけられていたのは「炎と闇」。
修二会の聴聞に来られたことのある方や、先日のNHKの放送を見られた方であれば修二会における灯りの神秘性をイメージすることもできることでしょう。修二会における内陣は、戸張と格子に阻まれた結界の中にあります。
局からは格子を通して、揺らめく灯明の明かりに照らされた世界が、礼堂からは戸張に映る「影」でしか見ることはできません。言ってしまえば「明かり」は、練行衆の足元を照らすのみならず、外界へと内陣の姿を届けるメッセンジャーとしても役割も果たしているわけです。
修二会の内陣は結界に区切られている一種の別世界と言われます。しかし、修二会の行法は内陣と礼堂を行き来します。内陣を極楽や浄土、彼岸とするならば、礼堂以下はこの世、此岸です。また、内陣に入るためには溝を渡る端を渡らねばならないというのも象徴的に思えますね。
つまるところ、練行衆は彼岸と此岸を行き来してつなぐ役目。浮世と浄土を近づけることにあるのでは無いかとも考えます。他方、今回のNHKの特集や、私のブログは隠された戸張を詳らかにすることでその神秘性を剥奪する行為であると歓迎されない方もいらっしゃるでしょう。
しかし、修二会というのは神秘的で幻想的であることは目的ではありません。あくまで、修二会というのはその時代に生きている人々の営みであり、その積み重ねが1270年もの間途切れることがなかったというのは結果であると私は考えます。
さて、浄土の姿を此岸へと映す灯明の灯り。この灯明は、昔ながらの灯明油と植物でできた灯心を用いています。今でこそ、ろうそくが普及していますが、かつては貴重なものでめったに使うことができませんでした。(もちろん、油も貴重です)
何年か前に行ったスリランカでも、灯明は多く見かけました。ただ、日本と異なり、油は「ココナッツオイル」などを利用しているようでした(日本では贅沢な行為です笑)。しかし、灯りを供えるという布施行は、国が違えど心は同じなのですね。
修二会にとって重要な役割を果たす油を堂内に運び入れるのが二月十八日の「油はかり」。寺役の最中に行われます。それを監督するのは堂内を取り仕切る四職である「堂司」と、実際に油の管理を行う処世界。実は油の管理は処世界のお仕事。先日のBSの放送でも灯明の油を継ぎ足している姿が確認できますよ。
修二会で用いられるお道具は、そのほとんどがご寄進によって成り立っております。この油もまた「講社」のご寄進なのです。二月堂にはいくつもの講社があり、それぞれの役目を担っておりますが、毎年灯明油をご寄進いただくのは二月堂「百人講」。
この年も、二月堂の南出仕口には百人講の方がいらっしゃり「堂童子」と協力しながら桶に油を注ぎ、堂内に運び入れていきます。私の仕事はそれを眺めるだけ。今でこそ、処世界の役割を身をもって知っていますが、当時は「どうして私はここで突っ立っているのだろうか?」と不思議で仕方なかったものです。
当時の新聞記事
新聞記事にもなっていますが、この日は修二会の始まりの行事ということもあって、二月堂の南出仕口には本当に多くの方々が集っておりました。二月堂の受納所前に人だかりができて、一様にスマホやカメラを向けてくるさまというのは措定していなかっただけに驚いたものです。お水取りの影響力を肌で知る初めての機会でありました。
さて、別火坊生活もはや4日目。だいぶ作業も片付き、余裕が出てくる頃合いでございます。しかし、一人別火坊はこの日まで。明日には別火坊に新しい住人がやってきます。
自由気ままな日々もこれまでかと、寒さを凌ぐために炭をふんだんに使いながら一人の夜を過ごすのでした。
※「堂司」…11人の練行衆のうち上の4人は特別な役職があり、それを「四職」と呼びます。堂司は上から4番目の役職で、平衆の7人を監督する管理職のような役職です。
そして堂司はその名の通り「堂内を司る」お仕事。その仕事量は練行衆の中でも随一です。食堂での読み上げに始まり、六時の行法の様々な差配は堂司の役割。毎晩走り回って灯明に灯りを付けたり、華籠を配ったりと大忙しです。
通称は「お司」。最も頼られるベテラン僧侶でなければ務まりません。二年ともとても頼りにさせていただきました。
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