令和二年三月十四日
この日の行法の見どころは「名残りの晨朝」。
達陀を終えていよいよ修二会の六時行法も最後を迎える。「晨朝」の行法と言えば非常に軽快なテンポで、一日の終りを告げる称名悔過では練行衆は力強く声を張り上げる。内陣をぐるぐると歩きながら声明や真言を唱える行道も、この時では勢いよく走り回る。差懸の音が堂内に強く鳴り響き、それらはまるで最後の力を振り絞るようだ。
しかし、最終日の「名残りの晨朝」は違う。行法が終わることを惜しむように、ささやき声で行われる。涙を堪えるように行うという伝もある。長かった二週間の行法もいよいよ終りを告げるが、いざ終わるとなんだか物寂しく、名残惜しい。そんな心情が表現されている。この時導師は「衆之一」と決まっている。始まり(日中開白)と終わりは平衆の長が勤め上げる。
処世界さんはこの名残の晨朝が非常に楽しみであった。普段の勢いのある晨朝も大好きだが、最後を飾る特別な晨朝に何を感じるのか期待していたのだ。達陀の煙が色濃く残る中、衆之一さんの時が始まる。「一切恭敬」ささやくように発せられる供養文。しかし、それは不思議と力強く感じられた。儚い、というより有り余る力をなんとか抑え込んでいるような感じだろうか。
まるで繊細なものを取り扱うように慎重に声明を紡いでいく。そこで発せられる熱量は常の晨朝と変わらないのだろう。しかし、それゆえかなんだかふわふわして現実感が薄く感じられる。本当にこれが最後なのだろうか?と。
南無観の宝号を唱え終わっても、五体投地は無い。この名残の晨朝では五体人が出ないのだ。あの勢いのある五体投地も、堂司の叫び声もない。しかし、処世界には常のお役目がある。そう「下り松」を配るのだ。これが実に不思議で、下り松を配る際には四股を踏むようにバタバタと音を立てて良いのだ。それはまるでいままで繊細に作り上げてきた作品を叩き割るような違和感を私に覚えさせた。
本当にこんなに足音立てていいのかなぁ…。という不安を胸に気持ち遠慮がちに下り松を手渡していく。普段であれば、渡し終えると自身の下り松を思い切り踏んで大きな音を立てて礼堂の五体人に合図を送る。しかしこの日は五体人は無し。初めてのことなので「これでいいんだよね…?」と何となく歯切れの悪い心地のまま自席に戻ります。
それを確認した衆之一は、再びささやき声で時導師を勤め上げた。最後の回向文が終わるとすすすーっと自席に戻る。晨朝が終わるといつも通り、不要な灯りを消して、火の始末の確認。そそくさと下堂する。そこに「終わった」という感慨は皆無だ。
なにか特別な感慨が湧くのでは無いか?とも思ったがそんなことは無かった。他の練行衆も普段どおりの振る舞いであった。こういうもんなのかな、と腑に落ちない感覚でカンカンと音を立てながら階段を下っていく。この時の処世界はまだ本当の意味で分かっていなかったのだ。ここからが長いのだと。
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