処世界さんの日記(五拾五)

令和二年三月十五日

 朝。起床時間は7時半頃。就寝時間が5時頃ですから、およそ二時間ほどの睡眠時間でしょうか?しかし、もっと忙しいのは童子さんたちです。ほとんど不眠不休で片付けにあたっています。  私も起床するとすぐに布団を始めとして撤収の準備を始めます。おおよそ八時過ぎには布団を搬出し、必要なものを除いて全て自坊、私の場合は華厳寮へと運び出します。かつてはつづらを用いて、担いで搬出していた時代もあったそうですが、今となっては文明の利器があります。そう、軽トラックという便利な乗り物が。  そう考えると、かつては東大寺の華厳宗の僧侶だけが行っていた時代から、末寺の僧侶が加わり、奈良の他宗のお寺の僧侶が加わり、そこから他県(四国・九州・名古屋など)の僧侶が加わっていき、ついに関東から練行衆が出ることになったというのも感慨深く感じますね。自動車や宅配といった便利なインフラがなければとてもではありませんが、修二会に参籠することなどできなかったでしょう。  そうして一通りの荷出しが終わるとついにやることがなくなります。練行衆は参籠宿所の庭に集まり思い思いに話し合うという和やかな時間が流れます。この年の本行ではこのような景色はよく見られました。というのも、コロナ禍でお見舞いの方を全てお断りしていたためです。なので、本行中でも「なんだか最後の日みたいな空気だなぁ」という言葉は何度か耳にしました。

 10時半ごろには湯屋へ。この入浴を経て、ついに紙衣を脱ぎます。湯屋小袖と紙衣はお役御免。白衣と袴という装いで湯屋を後にします。この時に下駄も今まで用いていた湯屋下駄からきれいな満行下駄に履き替えます。  処世界さんは新しい白衣、新しい袴、新しい下駄に履き替え気分も一転。思い紙衣も脱いで肩の荷も降りた気分でいたのですが、その一方で外に出てみるとこれが寒い。失って、初めて気づくもの。それが紙衣の保温性です。長い年月浸かられ続けた性能は伊達じゃあないということでしょう。  11時半ごろには「お集会(しゅえ)」と呼ばれる全体ミーティング。参籠宿所の裏側にて南座、北座が一同に介して無事の満行を喜び合います。これもかつて、南北が学侶、堂衆にきっぱりと分かれていた頃の名残でしょう。それが終わると、こんどは参籠宿所でも東西を分けていた扉が取り払われ、大導師宿所と咒師宿所、和上宿所と大宿所が繋がります。  そこで最後のご飯をいただくわけですが、ここが最後のお料理!ということで小院士さんが腕によりをかけた精進カレーが提供されました。食堂の料理はすべて献立が決まっておりますが、この最後のお料理だけは献立のないフリースタイルなのです。そしてこのカレーが非常に美味で。私はご飯を何度もお代わりしていたことろ、隣でみていた咒師さんが引き気味で苦笑いしていたのをよく覚えています。


 実は参籠宿所の童子部屋の壁には参籠者の名前が記されています。これは毎年その部屋の頭ないし、字のうまい童子さんや仲間さんが書かれております。今見れるのは修理した後のものなので、一番古くて昭和の終わり頃ですが三十余年の練行衆の名前を見ることができますよ。



 この年は確か大導師さんが書かれたように思います。こうして、練行衆としての歴史が刻まれていくというのは感慨深いですね。もし、今後私が咒師部屋に行けば仲間としての私の名前を見ることができるはず。今から楽しみです。

 食事が終われば、再び二月堂へ上堂して「四座講」と「涅槃講」という短い法要を取置行います。「四座講」はかなり省略されており、平衆は伽陀を順番に黙読する。四職は講式文を一巻黙読するといったものです。他の練行衆が黙読している間、練行衆は北の勧進の間でのんびりとしています。本行中にはない弛緩した空気が味わえます。そして、練行衆全員が読み終え次第「涅槃講」へと移行します。  涅槃講では舎利礼文を読み上げながらの礼拝。ここでも礼拝です。すでに数え切れないほどの礼拝をしてきた身にとってはこれくらいの礼拝行は何ということはありません。人生で一番五体投地慣れしています。あ、でも千遍礼拝はちょっと…。  涅槃講を終えると、南側の出仕口から出る。するとそこには人だかりが。満行した練行衆を見ようという人や、達陀帽のいただかせにいらした方で賑わっております。行中でもっとも人の注目を集めており、少々気恥ずかしい。下駄を履いていることもあってゆっくりと階段をおります。ここでコケたらやばい。最後尾なので全員を巻き込んでの大惨事になってしまう。恐る恐る降りていきます。


 開山堂で良弁上人にご挨拶をして、全ての行程が終わります。開山堂で解散(みんな一度は言う)。大導師さんのお見送りをしてから華厳寮に戻ると私は着替えてすぐに三月堂へ。普賢光明寺は三月堂の不空羂索観音さまとのご縁から始まったお寺でありますから、無事満行したことのご報告とお礼を申し上げに行こうと。  そこで間衣(改良衣とよばれる簡易な法衣)に着替え、襷袈裟をつけて雪駄を履いて…。むぅ!なんということでしょう。ふかふかだ。  そう、今まで下駄や差懸ばかり履いてきてクッション性のある履物を一ヶ月近く履いてこなかったため、たったこれだけの柔らかさに感動する身体(足裏)になっていたのだ。歩きやすいなぁと踏みしめながら境内を歩く。  こうして外に出ると今まで参籠宿所に籠もっていたのが嘘みたいに感じられる。アレは幻だったんじゃなかろうかという現実感のなさ。三月堂で観音経を唱える。ここは幼少の頃から何度と無く参拝に訪れている。東大寺の中にある心の拠り所。唱え終わるころには心も落ち着き、すでに練行衆ではないのだなという感覚。ふと参籠宿所を見やればすでにもぬけの殻で人の気配は消え失せ門は閉ざされていた。本の数刻前までそこにいたのが嘘のように感じます。

 さて、最後の仕上げだ。二月堂へ。改めて外から内陣を見やる。明るく、外から見る二月堂の礼堂はいつもの見慣れた姿で、少しばかりの寂寥感を覚える。さて、何をしに戻って来たのか。そう、おみくじを引きに来たのだ。十年前の仲間の時も引いた。その時は確か大吉であった。ご存知の方もいらっしゃるかもしれないが、二月堂のおみくじは渋い。私はかつて7回連続で「凶」を引いたことがある。ムキになって良い結果が出るまで引いたのだ。結局8回目で「小吉」が出たがこれは粘りがちだろう。

 さて、練行衆として祈ったこの身でおみくじを引く。先輩に「おみくじを引きに行く」と話した所「俺はそんな勇気ないわ」と言われた。確かに、これで「凶」が出たならば祈りが足りなかったと観音様から通知表を突きつけられるような思えてしまう。しかし、そこは自分を信じる。幸いにおみくじの受付のお姉さまには私が処世界さんだとはバレていない(たぶん)。  さて、この行法の締めくくりだ。エイヤと一振り!  これにて一年近く続けてきました「処世界さんの日記」は終わりです。私の駄文に長い間お付き合いくださりましてありがとうございました。初めは日記の内容を抜粋して書けばいいやと思っていたのですが、改めて日記を読み返すと書けることの少ないこと少ないこと。そこで、書物などを参考にしながら用語の説明や、何を行っているのか?などにばかり焦点があたってしまい、処世界さんの生活や他の練行衆とのやりとりなどまであまり描けなかったのは残念至極。なにより、二年前のことなのでだいぶ曖昧になっているということもあります。  二年目の処世界さん、三年目の処世界さんの日記も書いてみたいとは思いますが、今までの記事も二年目、三年目を参考にしながら書いている部分も多くそこまでボリュームは多くならないのではないかと思います。どちらかというと、今後は読み直しながら加筆修正したバージョンをお届けしたり、配信などで解説したりと言った形でまた皆様と東大寺の修二会について語りあえればと思います。  このブログを読んでが少しでも修二会や観音様、お寺や仏教に興味をより持ってくださったならそれこそが何よりの喜びです。今後ともよろしくお願いいたします。

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