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権処さんの日記(三)

令和五年二月二十日 月曜日 雨・曇



 午前の間に布団などを別火坊に入れる。牛王櫃を初めとした道具類を自席に並べていく。今年からは権処世界の席に。


 東大寺の修二会には「北座」と「南座」という区分が存在します。それはその読んで字の如く、二月堂の内陣の北と南に練行衆が別れて座ることから来ています。かつては明確な区分がありましたが、現在ではただ場所の違い程度のもの。ただ、掃除や支度など北は北、南は南で各々行うといった原則があります。


 これは内陣のみならず、別火坊でも南北に分かれます。試別火の期間ではそれぞれ別の部屋で生活するのです。とはいえ、別火では南北が逆転しており、北座が南側、南座が北側の部屋を用います。



 別火坊は戒壇院の庫裏でもあり、構造としては中庭を挟んで南北に部屋が存在します。最も南にある部屋は大広間といい、総別火で用いる部屋になります。そのとなりに北座の部屋があるのです。問題は、日が直接当たらないため寒いことでしょう。


 南座の部屋は、北座の部屋に対して中庭を挟んで北側。つまり太陽が直接当たるということで暖かいんですねこれが。修二会の最中はエアコンなんて使えませんから、火鉢で暖を取るのですが、去年までは火が弱くならないように気を配ったものです。今年はどうなるかな?


 荷物の搬入が終われば、今度は華厳寮にも荷物を入れます。今まではホテルでの隔離生活を送ってきましたが、これからは東大寺の中での隔離生活。寺内の僧侶は自坊がありますが、遠方から参籠する僧侶は華厳寮に荷物や洗濯物などを置きます。


 華厳寮はかつて東大寺内にあった唯一の宿泊施設で、その抜群のアクセスから得度者の講習会などでは活躍した施設です。現在では、一般の方の宿泊は受け付けておらず、この修二会の期間のみ、荷物を置く場所として開けていただいてます。私からすればここが使えないとめっちゃ困るのです(汗)


 すべての荷物を運び終わったら華厳寮で時間を潰してから午後5時頃に別火坊へ。何をするかといえば食事です。自坊で隔離されている方は最後の娑婆飯と洒落込むのでしょうが、私は毎度仲間さんたちと一緒に御飯を頂きます。


 大導師さんと堂童子さんの食事が終わるのを見計らってちゃぶ台でいただく。すでに料理は精進料理。そしてご飯はお釜で炊いた美しい白米。これこそ修二会の一番の楽しみです!


 食事を終えるとまた華厳寮へと戻る。外に出るととすでに別火入りを見届けようと待っている人あり。お疲れ様です。華厳寮にて風呂に入り身を清めたら6時40分頃に別火へ。といっても隣だが。先程以上に多くの方が見物に来られていた。


 外に出るとちょうど和上さんと一緒になった。ということは遅いということだ。まずったなぁと思いながら別火入り。中に入るとまずは清めから始める。蛭子川の水を熊笹につけて、私物などを清め、自分自身もお祓いを行う。これより先は清浄な生活になるのだ。


 ちなみに蛭子川の水は小院士さんが冷たい思いをしながら汲んでこられたそうで…。ありがたく使わせていただきました。普段は他の童子さんの役目だそうだが、新入のある時は院士さんのお役目だとか。


 

 七時には食堂に集まり、和上さん、大導師さんからの挨拶と、仲間の紹介。堂司から翌日の伝達事項が伝えられる。明日は八時出発とのこと。初年度の処世界のときはお留守番だった神輿洗い(煤払い)のお仕事だ。


 ちなみに、処世界さんはすでに総別火にはいってらっしゃる。どこへ行くにもテシマゴザを持ち歩くスタイルだ。穢を極力避ける。北座の部屋に行くと処世界さんのいる部屋へと続く襖には結界の注連縄が張られている。向こう側にいるときは気にしなかったが、まさに結界。隔離だ。


 しかしまだまだ「権処さん」という呼び名に慣れないなぁ。


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