令和5年2月27日
朝がつらい。人類が皆感じることだが、今年の修二会では殊にきつく感じる。特に腰だ。
私は元来、腰痛持ちでマットレスを敷いて寝ているが、修二会期間中はそうもいかない。腰に重いものがくっついているかのような感覚が私の朝を憂鬱なものにする。
別火坊は朝が遅い。しかし、起こし方は苛烈だ。カンカンカン!と鐘を打ち鳴らし、仲間が雨戸を一気に開ける。同時に練行衆は飛び起きて朝の支度をする。しかも、権処さんの寝床はこの鐘に一番近い。うるさいんだなコレが。
朝起きると、布団を仲間さんが運んでいき、掃除。終わってすぐに勤行。観音経をたっぷり読誦。すして朝食とせわしなく進む。
九時半には娑婆の僧侶たちが見舞いの挨拶にいらっしゃる。コロナもあって玄関での顔合わせのみ。やはりちょっと味気ない。
コロナ禍になって以来、こうした挨拶行事は特に簡素なものになった。しかし無くしはしないところに意地を感じる。
しかして元がどのような行事だったのか。実は1年目にしか体験していないのでコロナ禍の練行衆である権処さんはまだ知らない。なのでこのあたりについては来年以降の日記に期待していただきたい。
す
挨拶が済むと練行衆はそそくさと移動し、今度は「花つけ」だ。先日作った糊こぼしを椿の生木につけていく。
5月に行われた声明公演では、糊こぼしを模した荘厳を用いたが、これは生木ではなく針金を芯にもちいたイミテーションであった。
(上が本物の糊こぼし「小」、下が公演で使用したもの)
もちろん、二月堂で用いる椿の造花は本物の椿の木を用いる。枝を少しく落として、そこに糊こぼしの花を差し込んでいく。
以前にもお話したが、この糊こぼしの芯に用いられている木材はタラノキで、非常に柔らかい。サクッと枝が刺さるのだ。
例年であれば取材の記者が中庭に入って撮影を行うが、ここ数年は練行衆と仲間のみ。千手堂の縁側で糊こぼしをつけていく。
この椿の木は大中小あって、四方の大花瓶にいれるもの、それに付随するもの、小さな花瓶に入れるものと3種類の大きさがある。
権処世界と処世界はこの内「小」を担当。一肘くらいの大きさの枝に3~4個の糊こぼしをつけていく。これを12個ばかり作るのだ。
ここでもし糊こぼしを落としてしまったらそれは「チリ」になってしまう。もう使えないのである。
地面というのは様々な悪霊の住まう場であり、そこに触れないようにあらゆる物事を進めるのが修二会の特色だ。
食堂のあとに食べ物を布施するのもこのためだ。一種の施餓鬼に近い作法だと私は考えている。これも功徳。
ちなみにこの時に落ちた糊こぼしは練行衆に配られると同時に仲間さんにも分配される。なので「少しは落としてくださいね」などと冗談を言い合ったりするのだ。
この花つけの作業は縁側で行っているので、実は外から覗くこともできないわけではない。ふと見やると軽トラックの荷台に乗っていた童子さんと目が合ったりするのだ。
花つけも終わるとやることはしばらくない。この日は天気もよく、縁側でのんびりとお経の稽古。大抵の書き仕事は終わっているので、この日は皆思い思いの場所で稽古に励む。
衆之一さんなどは日中開白のための確認や過去帳の読み直しなど隠れて稽古に励まれる。
処世界さんも夜の稽古に向けて確認に余念がない。今年はなんだか一日が早い気がするなぁとこぼすと堂童子さんは「温かいと短い、寒いと長い」と。確かにそうかも知れない。今年は火鉢にかぶり付くような日は少なかった。(温かい南の部屋にいたためかも)
そうこうしていると次の行事、衣の祝儀へ…。
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