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権処さんの日記(拾六)

令和5年2月28日



 風呂が終わればお祓いというのが、修二会の常。風呂というと汚れを落とすため、清浄な行為のように感じるが、俗事であるためか終われば必ず自席での祓いがあるのです。


※処世界さん視点はこちら



 しかし、この日のお祓いは大掛かりなもので「大中臣の祓」といい、咒師が大きな御幣をもって練行衆全員のお祓いを参籠宿所の表で行う。


 時間になると小綱が咒師部屋にやってくる。すると咒師は「お祓いを催せ」と命じ、それから参籠宿所の各部屋に知らせが回る。


 これは咒師部屋に来て初めて知ったことだ。咒師というのは呪術的な作法が多く、さらに言えば暗記することも極めて多い役職。


 現行の制度では末寺の者はこの職に就くことは出来ない。故に何をするのか、どのように振る舞うのかを見ることは私にとって本当に貴重な体験なのだ。


 「お祓いにござろう」とのお触れが回ると各々部屋から細殿と呼ばれる回廊に練行衆が出仕し、大中臣の祓が行われる。ちなみに呪師部屋は最後に出る。


 この行事はコロナの隔離期間であっても外から見れるとあって、参籠宿所の階段下には多くの人が詰めかける。パシャパシャとシャッター音と、松明の爆ぜる音が静かな境内に響く。


 ちらと見やれば、コロナ前ほどではないとはいえ、だいぶ人の出も戻ってきたのだなと思える人の群れが見える。


 薄暗い中に灯された松明が、呪師の手元を照らす。



 やっていることは神事そのものに見えるが、作法は密教作法であり、やはり仏教にほかならない。これらを切り離して考えることは難しいが佛が主であることは間違いないだろう。


 これにより、練行衆、そして場の浄めが行われ本行にむけての準備が刻一刻と整う。これが終われば仮眠を取り、いよいよ行法が始まる。



 さて、ここから夜の12時半頃まで仮眠を取るのだが、ここで問題がある。それは部屋が狭いことだ。


 実は参籠宿所の東側の部屋は西の部屋より少々狭い作りになっていて、権処世界の布団スペースは処世界のそれより狭いのだ。


 故にまっすぐ布団を敷くことが出来ず、斜めに敷かねばならぬ。それこそ江戸以前の日本人ならいざしらず、現代っ子たる権処さん。身長は176センチ。それなりだ。


 これは権処には避けて通れぬ問題。私も先達に習い布団大胆に斜めにする。対角線がギリギリ取れるので問題なく足を伸ばして寝れるわけだ。


 古い建築物というのはこういったところにも歴史を感じるものなのだなぁと感心しつつ、眠りにつく。


 例年、この時間は緊張もあり、あまり寝れぬのだが、気温が高く寝苦しいが、不思議とこの年はぐっすり眠れた。ようやっと腰も落ち着いてきたということだろうか。


 詳しくは覚えていないが随分夢見が悪かったと日記にある。ついでに腰も痛かった。修二会期間中というのは、よく夢をみるし、何か見えることもある。それはまたお話するとしましょう…。


 さて、起床し、身支度を整えた後は食堂にて受戒。これより上七日の間に守るべき八斎戒を受ける。この中に非時食戒が含まれ、練行衆は午後の食事を禁じられる。


 この時に、処世界は鐘を鳴らす仕事があるのだが、ふふん!私は権処さん。その仕事からは卒業したのだ。


 となりの処世界さんが緊張しながら鐘を叩く様子を「1年目はメッチャビビってたよなぁ」と暖かく見守る。


 しかし、この処世界さん全くもって間違えない。なんと優秀なことだろうか。私の不出来がバレてしまう。困ったぞ。


※受戒についての処世界さん



 受戒終わって、二月堂への上堂。処世界さんもついに内陣へ。バタバタと差懸を鳴らし堂内を三周する。終わって周囲を見渡せば、見知った内陣。今年からは南座。ちょっと新鮮な視点だ。


 この暗闇と、薄明かりの堂内。修二会が始まったのだという実感が湧く。しかし、まるで去年からの続きが始まったような感覚になる。1年弱のブランクなどなかったかのようだ。


 内陣というのはそう思わせる不思議な力が存在するのだ。荘厳具の飾り付けなど必要な準備を行うが、ここではまだお餅の出番は無い。お餅無しで作法は進む。ちょっと須弥壇が寂しい。


※初めて内陣に入る処世界さん



 そのまま、衆之一さんが時導師を務める日中開白。今回は佐保山師による。別火坊でほとんど稽古している様子を見せない衆之一さんが、その長年の経験による力強く安定した声明を披露する。これぞ日中開白の醍醐味だ。


三時二十五分頃下堂、四時十五分頃就寝…。


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