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執筆者の写真望月 大仙

権処さんの日記(拾八)

令和5年3月1日



 この日はお仕事が多い。そのうちの一つがお餅積み。


 修二会を象徴する荘厳といえば「糊こぼし」、そして「壇供」である。壇供とはお餅のお供えのことで、円盤のような形に成形されたお餅を積んで観音様にお供えする。そして、皆様からのお見舞いのお返しにこのお壇供を送ることが通例になっている。



 一度に積むお餅の数はなんと千面。それだけ多くのお餅をお供えしているのだが、積み方にも決まりがある。何面ずつ積んでいくのかもしっかりと決まっているのだ。しかし、お餅は手作り。別火坊にて童子さんたちがせっせとついたもので、それを木の枠に入れて形を整える。


 そのため一個一個微妙に大きさが違ったり、盛り上がっていたりと個性がある。基準となる大きさは厚さは三センチほど、直径は15センチだが、木枠は丸いワッパのようなもので直径は均一でも高さはまちまち。この個性を活かしながら積むのがなんとも難しく、また楽しくもある。


 南座は大導師さんと和上さんの指示の下、せっせと積んでいくのだが私は壇上に上がっての作業。上から横からとお餅の積み具合を確認する。土台が傾いていると、その上に積まれるお餅も傾いてしまうため丁寧な仕事が要求される。


 今年は薬師寺の修二会にも聴聞に伺ったが、そこでは美しくお餅が積まれているのを見て感心したのだが、よく見ると後ろに支えがある箇所を見つけてしまった。これは羨ましい。二月堂の壇供が独立して立っているので、まぁまぁ崩れる。その都度直すのが恒例行事だ。


 まずは正面の手伝いをしつつ南座のお餅を積んでいく。ここも北座と南座は完全分業となる。人数が少ないので効率的にこなさねばならない。幸いにもお餅は安定して自立してくれたようで早々に下堂と相成った。きれいに作ってくださった童子さんや三役さんに感謝。


 しかし、このタイミングで下堂するのはなんとも不思議な感じがする。というのも、処世界さんは下堂せず、道内の清めと準備に取り掛かるためだ。私が一日のこの時間に外に出るというのは初めてのこと。そのため見れる景色もまた変わってくる。


 一日にも関わらず、すでに法華堂の前まで人がいるではないか。新型コロナの影響で密な状態を防ぐためという名目で二月堂下の芝への入場が制限されているとはいえ盛況である。何事も一発目というのはありがたい。初物というやつだろうか。初松明。よりご利益がありそうだ。そんな一発目のお松明は何を隠そう、私の松明である。


 上堂のための身支度を整えれば、参籠宿所の西側出入り口で待機する。正面にはカメラを構えた人が多く見える。この中にも知っている方がいらっしゃるのかなぁとのんきに考えながらその時を待つ。


 童子さんから「初めてやろ?」と声をかけられる。「そうなんですよ。ちょっと緊張しますね」と。実際に今までの三年で松明を伴って上堂したのは三回のみ。すべて十二日の籠松明の時だ。


 この時は権処さんが上堂してから急いで下堂して、改めて上堂するという特殊な動きをしなければならない。これは処世界が準備のために必ず堂内にいなければならないためだが、そのお役目から解き放たれた権処さんは晴れて参籠宿所からの上堂なのだ。


 時間は十九時。さぁ、いよいよ初夜上堂なり。


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