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権処さんの日記(拾七)

令和5年3月1日


 練行衆の朝は、遅い。この日は九時の起床。とても暖かな日だ。


 寺役(定例法要)を終えた塔頭僧侶たちが挨拶にやってくる。「開白済みましておめでとうございます」という文言が定形。


 昨夜の日中開白をもって本行の始まりとする。無事に本行が始まりましたことおめでとうございます、ということだ。


 この日の法要は大仏殿の西にある八幡殿で行われる。ちょっと離れているのでいらっしゃるのは九時四十分頃だ。東大寺境内の端から端まで移動する形なのでちょっと大変。


 娑婆(しゃば)の僧侶から揃って挨拶を受ける。この時も僧侶たちは室内に入らないので、私達は室内から礼を受ける。もちろんこれもコロナの隔離のためだ。


 以前は室内で挨拶を受けたため、室内の掃除や布団もきちっとたたむ必要があったという。今はざっくりと畳んでいる。ズボラな私は来年から注意されてしまうかも。


 本年は気温が高く暖かいのは結構だが、暖かいとそれなりの問題がある。その一つが花粉だ。境内の杉が黄色く色づいているのを二月堂から眺めることができる。できてしまう。いやだなぁ。目が痒いなぁ。


 一方で梅の木にとまるメジロの鳴き声が耳を楽しませてくれる。歌舞音曲は戒により禁じられているが、これは普段巷に溢れている様々な楽曲よりも今の私を楽しませてくれる。音を楽しむとはまさに。


 この日は日没の上堂。今年から二月堂内陣での座席は南座。二月堂の受納所側の席になります。北座の席との大きな違いはニ点。一点は人が少ないという点。北座は六名。南座は五名なので、使えるスペースが広くなる。


 もう一点は日中の明るさだ。北側と異なり南側は外からの光がとてもよく入ってくる。大観音様のいらっしゃる天幕や多宝塔が照らされてよく見える。


 果たして外からはどのように見えているのだろうか?内陣の様子はちょっとは見えていたり?お昼の行の聴聞はしたことがないのでちょっと気になる。


 総神所。日没の行法が終わると処世界さんは急いで柄香炉と鈴を持って飛び出してく。総神所は大導師さんが主となって祈りを行う。処世界さんはその荷物持ちとして付き従う。


 権処さんは最後なので周囲に合わせてのんびり出ていく。最後尾で何も考えずついていくだけの権処さん。



 二月堂の周囲には三つの神社があり、それらはお堂鎮守とされる。一つは正面の斜面に建つ「興成神社」。元々は東大寺を守護する八大菩薩のうちの一社であったが、現存するのはこちらのみ。


 二つ目は飯道(いいみち)神社。二月堂の受納所の少し上にある神社で、元々は滋賀県の信楽にある飯道(はんどう)神社から勧請されたもの。大仏殿の鴟尾と同じ高さだとか。

 最後は遠敷神社。お水取りの由来になった福井県小浜市にある若狭彦神社から。この三社で行中の無事安全を祈願するのが総神所である。これも外から見える作法ということで、多くの人が見学に訪れていた。


 それが終わると例時作法。例時の間で阿弥陀経の読誦を行うがかなり省略されている。元々は天台宗の作法であるという。例時の間は二月堂の南西にある小部屋。


※『東大寺お水取り 二月堂修二会の記録と研究』p247より


 修二会にはこういった後世に追加された作法が多々ある。法華懴法などもそれにあたる。この例時作法は毎日日没の後に行うが、処世界さんは行法が終わるとすぐに錫杖を手に取り飛び出す。


 格子の隙間から咒師さんにそれを手渡すのだが、私も失念しておりどのように錫杖を渡せばよいのか伝えそびれていた。


 可哀想に処世界さんはしどろもどろになりながら錫杖を差し出していたのだ。これは反省。しかし、先代処世界として伝授するタイミングというのは実は少ない。


 というのもやはり南北に座席が分かれているためだ。そして、北座には私と同じく三年の処世界行を努められた清水公仁師が中灯としていらっしゃる。


 私のようなポンコツよりも遥かに正確で頼りになる。基本的にはお任せしてしまう。二人でやらにゃならん仕事以外は北座の諸先輩方が手取り足取り指導してくださることだろう。


 私はそれを遠目に眺めている皆さんが思うより南北は遠いのだ。


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