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執筆者の写真望月 大仙

権処さんの日記(四)

令和5年2月21日



 起床し洗面後にお祓い。これは毎日行う日課である。この日は各自で朝食をとる。他の練行衆と被らないように気を使うのだ。直綴と地蔵袈裟にて8時に別火坊を出発し二月堂へ。堂司を先頭に神輿洗いへと向かう。神輿洗いと言われているが、これは小観音さんの御厨子の入った神輿をきれいにすることからそう言われているだけで、本来は煤払いだという人もいる。


 この日はすでに処世界は総別火入りをしているためお留守番。上の三職も揃ってお留守番である。堂司と加供奉行が内陣の鍵を開けて、練行衆が中へ入る。中にはいったらまずは箒の交換だ。修二会で用いる箒は様々な用途から柄の長すぎる竹箒。この日まで一年間お世話になった箒はお役御免。使い終わった箒は二月堂の外に立てかけてあったりするけれどその後どうするのだろうか?



 権処世界の掃除における仕事は処世界とあまり変わらない。堂内の掃き掃除だ。この日の掃除では、掃き掃除の他にもう一つ仕事がある。それはまさに煤払い。長押の上部に溜まった煤をこれまた長い竹の箒で落としていく。玉のようなホコリが真っ黒な煤とともに大量に落ちてくる。一年のうちにこのときにしか行わないためその量は凄まじい。


 たいてい他の練行衆が礼堂へ小観音様の神輿を清めている際に行うので、煤に塗れるのは処世界と権処だけ。今年は処世界がいないため私一人がホコリまみれに。この日ばかりはマスクがほしい。来年は手ぬぐいを持って行こうと毎年思うのだが、毎年忘れてはや三年。


 小観音さんを内陣へ戻す。戻したらば次は五体板の搬入だ。練行衆が軽く五体を打ちながら場所の調整を行う。毎年そう変わることはないが、この調整次第で音の鳴り方が変わる。


 一通りの準備を終えたら解散。各自、自坊へと戻る。私はもちろん別火坊に戻る。しかし、この時にはまだできる作業もない。必要な紙類がまだ配られていないtめ昼まで時間が空いている。華厳寮に戻り一人読経の稽古に励むことに。



 お昼ごはんは狭い部屋に10人(例年は11人)+3人(堂童子・小網・駈士の三役)が集まって食べる。仲間が給仕を行う。例によって新入の処世界さんは自室での食事のため不在。一人寂しく食事をするのだ。


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 「2年目の処世界さんの日記」


 神輿洗いを終えて解散。お昼までは時間があるので、華厳寮に戻って六時の声明のお稽古に励む。堂司さんも、かつては暇を見つけては華厳寮で稽古されたとのこと。末寺にとってここは道場のようだ。


 お昼ごはんは細長い部屋に一同が揃う。机をコの字に並べて、真中に加供奉行を先頭に仲間が並ぶ形。


 新入の時はこの皆で集まっての食事はなかったので、ここでの食事は仲間だった頃以来、実に11年ぶり。とても懐かしく思いながら処世界の席につく。


 今年からは新型コロナウイルスでの物故者、そして罹患して苦しんでいる方々への祈りも同時に行う。大仏殿では正午の祈りを行っているが、別火坊でも同じく行う。南無観自在菩薩。



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