令和五年二月二十一日 その2
13時より社参。ここでも処世界さんはお留守番。各々、貝を持ち赤門、大仏殿、天皇殿とお参りをする。この貝は片手で持てる程度の法螺貝で、一般的な法螺貝よりも高めの音が出る。修二会でおなじみの法螺貝だ。
途中、大仏殿から奈良太郎の鐘へ向かう階段の辺りで貝を吹く。次に大鐘、四月堂横の階段で吹く。合図のための貝であろうが、ここでは誰に合図しているのだろうか?わからない。開山堂で良弁上人へのお参りを終え、若狭井の横でも貝を吹く。これは湯屋への合図だろう。
というのも「試みの湯」と呼ばれる行事があるのだ。これはその名の通り、本行前に湯屋でお風呂に入る試しの湯。ここでも面白い作法がある。集まった練行衆に向けて堂司からのご挨拶だ。「新春の御慶」から始まる挨拶文は定型文であるが暗記する必要がある。今年は池田師による初新春(?)。朗々としたご挨拶は湯屋の外まで響いたであろうか。
後日の講演会で「この時本当にお風呂に入っているのか?」という質問があった。その質問ももっともで、風呂の時間はとても短い。烏の行水もかくやである。私の場合、1分も風呂に浸かっていることは無いのではないか。頭を剃っている時間の方が絶対に長い。常に周囲を見ながらの集団生活の辛さでもある。
あまり温まっていない風呂上がりの身に、白いものが舞い降りる。寒いことこの上ない。例年であれば、二月堂の欄干から聖武天皇陵を拝し、食堂の横辺りで解散となるが今年は新入さんが別火坊でお待ちだ。全員で二月堂から別火坊へと下る。道を歩きながら雪のちらつく大仏殿を眺めるのは何とも風情があるものだ。
大仏殿を過ぎた頃に貝を吹くのだが、これも新入がある時だけだ。中灯さんも初めてのことなので慌てて吹く。私は覚えてましたよ?新入の時は別火坊でこの貝の音を聞こうと耳を澄ませていたほどですからね。
別火坊に戻ると大広間で新入に挨拶。とはいえまぁ面白みのないやり取りですよ。 午後には紙が配られ、作業が始まる。さあ作業を始めようと包丁を取り出す。 全く持って油断していたために、ケースから出す時に指をサクッとやる。これまた全くもって切れ味がよい。油断は禁物だ。権処になってもおっちょこちょいなところは改善されないらしい。
作業をしているとあっという間に夕食。それも終えて19時になると南座では読経のお稽古が始まる。主に後夜の読経を行う。誰がどの部分を読むのか打ち合わせをすると同時に読経初体験の権処をサポートしてくださる。ベテラン練行衆のお二人に支えられる心強さを改めて感じる。
20時からは六時の稽古を北座の部屋で行う。この日は次第時の稽古を行う。3/1の午前1時すぎより日中の悔過作法をもって本行が始まるが、時導師は衆之一から順番に行うことが決まっている。つまり3/1は「日中・衆之一」「日没・南衆」「初夜・北二」「半夜・南二」「後夜・中灯」「晨朝・権処」「日中(3/2)・処世界」となる。
次第順に行うため次第時と呼ばれるが、通常よりも丁寧な所作、節で行うことに特徴がある。特に初夜などは2日以降ともまた節が異なるので、北二さんは大変な相当お稽古をされて臨まれている。(そのために声明公演でも初夜を任されたのであろうか?)
権処さんは「晨朝」。こちらのお稽古は隔離期間中も含めかなり念入りに行なってきた。はずなのだが…初日の稽古という事もあってボロボロ(汗)時間があったので初夜の稽古も行うが、 こちらもボロボロだ。先輩がたからは特に力を入れすぎると言われてしまう。もう4年目だが、4年目だからこそのおごりや 油断がある。気をつけねばならない。
※新入の時の処世界さんは処世界日記の書写に勤しんでいたようだ
今年の処世界さんは何をしていたのだろう?
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