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権処さんの日記(二)

令和五年二月十八日


 本年の修二会も本行前に隔離期間が設けられた。令和3年の修二会では2週間のホテル、翌年の令和4年も2週間のホテル隔離。今年は10日間のホテル隔離。


 1年目は非常に長く感じたものの2年目3年目になるともはやホテルも慣れたもの、あっという間に隔離期間が過ぎた。今年は2月の10日からの隔離、1週間の隔離を経て3回のPCR検査を受けた。それらをパスして2月18日、二月堂で行われる寺役に参加することができる。


 今回の寺役の出仕は隔離期間を経た練行衆のみで行う。ここでようやく、新入の処世界さんに会うことができた。処世界さんの日記でも書いたが、新入の練行衆は通常よりも5日間早く参籠する。2月の15日にはすでに処世界さんは別火坊に籠もっていた。


 それに連動して隔離期間も2月5日からとなり、今年は奈良に来てから処世界さんに会うことができなかったのだ。私は初めてのことばかりでだいぶテンパっていたのですが、さすが生粋の東大寺っ子だけあって、一人での参籠も何のその。元気いっぱいの姿でありました。


 さらに今回は処世界さんだけが一足先に参籠しているというわけではない。大導師さんも同じく早めに参籠することになっています。今回の大導師は森本公穣師。三年前の修二会では咒師を務められ、去年一昨年とは娑婆に残り、新型コロナウイルス対策や、Youtubeとニコニコ生放送での配信、NHKでの放送など、私たちの知らない場所で八面六臂の活躍をされてきた。そして、新型コロナウイルスの猛威も落ち着いてきた今年にその総仕上げと言わんばかりに「大導師」のお役に就かれることになったのです。


 「大導師」とは11人の練行衆の中では上から二番目の役職であり、行法における祈りを奉読する(読み上げる)最も重要な役職である。この行法がどのような目的で行われているのかを十一面観音様に奏上する、いわばすべての練行衆、そして修二会にかかわるすべての人々の祈りを一手二引き受け、観音様にお届けするのです。


 このすべての人、というのは生きている人に限らず、すでに亡くなられた方も含まれ、連綿と受け継がれてきた修二会の歴史をも受け止める観音様に奉じます。それゆえに仕事量は膨大で、夜の行法の中で大導師さんが読み上げを行っている時間は非常に長いものです。


 だからこそ、その準備期間も多大なものになります。新大導師は新入の練行衆と同じ2月15日から別火坊にて籠もり、様々な準備に勤しみます。ただ、新入と異なる点は20日を迎えても総別火入りはせず、そのまま試別火を継続する点です。



 修二会は前行である「別火」と「本行」に分けられ、別火は更に「試別火」と「総別火」に区分されます。


総別火とは日程を示すと


       通常          新入      新大導師

「試別火」  20日19時~      15日19時~   15日19時~   

「総別火」  26日10時頃~   20日15時~   26日10時頃~

「本行」   3月1日1時頃~ 同        同

※閏は27日に総別火入り


となります。


 試別火はその名の通り試みの別火で、半別火ともいいましょうか。生活に使う火は現在では風呂炊きや料理に限ります。


 ここで面白いことは、別火のはじめに料理に用いる竈門などを神職の方にお祓いしてもらうのですが、ここにお風呂の給湯器も含まれていたことです。かつては風呂を炊くための場を清めていたことでしょうから正しいこととはいえ初めて見たときは感心したものです。


 試別火では、先述の行為を分けていれば別火坊からの出入りは自由です。ただし移動は境内に限るため、私のような末寺のものは実質出られないのと同義です。塔頭の僧侶はこの期間も仕事をしているそうですが、私にできるのは隣にある華厳寮との行き来と、唯一の私的な空間である自分の車の中で一息つくことだけです。稀に外の空気を吸うついでに車の中で一人の時間を過ごすのが私にとってストレスフリーな瞬間ですね。


 そもそも別火とは、日常生活に使う火を分けることで穢から隔離することを言います。ここで注目したいのは「穢」というのは「伝播する」ものと考えられていたのです。前回の日記で紹介した二月堂服忌令ですが、この中には自身の忌服だけでなく、家族の穢についても記述があります例えば


 これは現代では考えられず差別的に感じられるかもしれませんが、考え方の基礎が違うため批判されるべきものではありません。かつては忌み者が隔離され、別の小屋に置かれたともされます。


 また、そのような理由から別火中の練行衆は服忌者との会話や接触も忌避されます。限定された期間・空間ではありますがこのような「失われた不自由」を残し続けることは世間とのズレという点で維持が難しく、それゆえに全員の合意と協力が必要です。このような見方はグローバリズムがはびこる現代においても必要な視点かもしれませんね。


 そんな別火坊の生活を経た処世界さんには、処世界としての初仕事があります。それは「油はかり」です。修二会において、内陣を照らすのはこれもまた清浄な火であります。3/1に堂童子が火打ち石で切った火を用いて、灯明に火を灯し続けます。


 近年ではろうそくが主流でありますが、かつて灯といえば油を用いた灯明であった。ろうそくは安全性が高い一方で作るにはそれなりのコストがかかります。古い仏教の習慣の残るスリランカなどでは、ココナッツオイルの価格が安いこともあって現在でも灯明をお供えする場合には油を用いていました。



 この油はかりは、二月堂の圓玄講の一つである「百人講」が毎年油を寄進しております。一斗缶に入った灯明油を、定規のような木の棒で量を測りながら油壷に入れ換えていきます。コロナ全盛期だった昨年などは、処世界と堂童子が変わりに入れるという摩訶不思議な光景が見られましたが、今年は無事に百人講の沢村さんに入れていただくことができました。



 とはいえ、今年の処世界はすでに譲った身。南出仕口の喧騒はどこ吹く風。私は他の練行衆とともに二月堂礼堂で粛々と散華の声明を読み上げるのみです。


 さて、この日の寺役は練行衆にとってお仕事が存在します。それは内陣のお掃除です。毎月、寺役の際にその年の練行衆が行うのであるが私は遠方のためその役目を免除していただいていた。おおよそ一年ぶりの内陣掃除。火の灯っていない内陣は暗闇そのもので、ライトなしには足元を見ること能わず。昔の練行衆はいかにしてこの問題を解決していたのであろうか。見えないものは仕方ないと割り切っていたのだろうか。


 内陣の掃除も四年目。すでに違和感がない。また、本講の阿弥陀経を読み終えると香水を配る。これも処世界の役目だ。私がいない間は権処さん(清水公仁師)が担当されていたそうだ。寺役に出仕した僧侶にお香水を配っていくだけだが、久しぶりの香水杓の扱い。貴重なお香水をこぼさないかとヒヤヒヤする。


 この時、わらじを履いているのだが、これがまた滑る滑る。なんとかお役目を終えると、今度は堂童子さんが杓をもって私に香水をくださる。これをもって一仕事を終えるのだ。ここまでは昨年の練行衆の配役に従って運用される。次に二月堂へ上がるときには権処さんとして振る舞いが求められるのだ。


 まだ隔離期間は少しだけ続く。私は車に乗って隔離先であるホテルへと足早に帰るのだった。


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