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権処さんの日記(二拾)



 

 ゴーンゴーンと鐘をつく。


 その間にも、練行衆が次々と四股を踏んで内陣へと消えていく。この四股を踏む音はお松明を見ている方にはお馴染みだろう。


 ダン!ダン!ダン!ダンダンダン、ダダダダダ…


 礼堂から、さながら歌舞伎のような足音を立てて走り込む。私はすぐ近くでその様子を見ることができる。迫力満点だ。


 ちなみに鐘をつき続ける権処はこの四股を踏まない。堂司の姿を確認したら鐘を二度打つ。ゴーン、ゴーン。これは終わりの合図。身を翻して早々に内陣へ。ここから先は常のごとく。須弥壇の四方で礼拝を行い、内陣を練り歩く。和上さんが礼堂へと入ってくれば自席へと入る。


 しかし、自席に着いた後は処世界の頃とは一味違う。そう、お松明を見ていた人は聴くことのない「初夜読経」が始まるのだ。これは今年五月に行われた公演で初めて聞かれたという方も少なくないのではなかろうか。


 この読経は毎日行われるもので、独特の節を付けて妙法蓮華経の抜粋を読み上げていく。これも普段の法要では聞き慣れない不思議な旋律で、この音が好きという方も結構いらしゃるそうだ。妙法蓮華経序品第一から始まり、二週間の間毎日四人ずつ、権処以上の平衆が六人が順繰りに当番で当たる。初日は衆ノ一から、南衆、北二、南二まで。


 ちなみにこの「初夜読経」は南座で行われる。北座の面々はわざわざ南の席にやってきて読み上げるのだ。なのでこの日は衆ノ一さんと北二さんがこちらにやってきている。ちょっと狭いが許容範囲。それだけ南座は広い。


 このような移動が存在するのは、おそらくかつては読経は南座の練行衆が全て行っていた名残ではなかろうかと考える。逆に「神名帳」や「過去帳」を奉読する際には、南座の練行衆は北座まで赴かなければならない。


 これは、かつて北座は学侶、南座は堂衆が座っていたことに起因する。


 学侶とは学僧ともいい、主に学問や論議などを行ってきた僧侶のこと。東大寺においてはこの論議に参加することが重視され、僧階を挙げるにはこれらの法会に出ることが必要であったという。


 堂衆は一般に堂宇の管理や、苦行・練行などを行ってきたとも言われる。上院では法華堂衆などもあり、これらは山岳修験を含めた修行も行っていたとされる。呼び方は寺院によって様々で興福寺では禅衆という呼称も見られた。


 この二つは明確な身分差が存在し、前者には貴族を始めとした身分のあるものしかなることはできなかったという。神名帳や過去帳はこのような学侶にしか任されない役目、読経は堂衆に任された役目だったのであろうと推測される。


 しかし、面白いのは「練行」という本来であれば「堂衆」の役目の部分に「学侶」がある意味下りてくることで練行衆として同じ堂内にいること。そして、娑婆での僧階が適用されず、あくまで修二会に参籠した順番で席次が決まるという方式。


 奈良時代から江戸の世まで、僧階について東大寺がどのような組織の運営システムを構築していたのかについては不勉強ではあるが、このことは華厳宗僧侶にとって二月堂修二会が極めて特別な行事であったことは間違いないのだろう。修二会への情熱は並々ならぬ。


 さて、閑話休題として。初夜読経が始まるわけだが、初めて近くで行われる読経に私は諸先輩方の動きをつぶさに観察していた。そんな私に北二さんがある事実を突きつける。「当たって無くても、全員で言う部分は君もやるんや」と。


 なるほど。それは大変だ。

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