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権処さんの日記(二拾六)


令和5年3月5日


 前回の日記でこの日の出来事を書き忘れていた。


 初めての走りでは処世界さんの初めての大仕事の他に、権処さんも初めての小仕事があったのだ。それが香水配り。


 「走り」の行法は二月堂の内陣を練行衆が天界と地上の時間差を埋めるために延々と走るのであるが、練行衆は昼から水を一滴も飲んでおらず、非常に水分が不足した状態に陥っている。そのためか、この走りの行法が終わってあとには堂司から、お香水が配られる。


 特に、走る周回数の多い「上数」「下数」は厳しい状態に。さらに今年は例年以上に気温が高く、紙衣に重衣を着た状態で走れば汗もかく。この時にいただくお香水はまさに甘露であると誰もが口を揃える。ありがたや。


 練行衆への香水配りが終わると、今度は権処世界・中灯によって礼堂の人々にも香水が配られる。これが実のところ楽しみであった。局にいる聴聞者は香水を求めて格子から手を出す。この光景がなんとも…。


 その手のひらに少しずつ香水を渡していく。これがずっと憧れであった。しかし、今年も残念ながら聴聞はゼロ。渡す相手は、同じく籠られている童子さんと三役さんのみ。二月堂の外には寒い中、聴聞に来られた方がいらっしゃるかもしれない。そういった信仰深い方々へ渡せないことは残念至極。


 内陣から出て見やれば、この日もお役目で上堂されていた処世界童子こと水島太郎さん。これはなんとも役得であるなぁと思いながら、なみなみと香水を渡すのだった。羨ましい。


 走りが終われば後は常のごとく流れていく。長丁場のいち日もようやっと終わる。


 午前三時 下堂


令和5年3月6日


 前日の実忠忌は上七日の山場であり、逆にいえばこの日は何も大きな行事がない日。そういうときこそ気が緩むし、下の者は忙しい。


 5日(実忠忌)や7日(小観音御入)、12日(お水取り)といったハレの日には大部屋の練行衆(中灯以上)しか当たらず、小部屋にいる処世界・権処世界は時導師などは全く出ない。逆を言えば、それ以外の日はフル稼働。


 この日の予定は日中・後夜の時導師、初夜の五体、神名帳。しかし、日中の時導師では鈴のタイミングを致命的に間違え、以前から指摘されている声明のミスも直らず。さらには腹痛で脂汗を流す。


 初夜の五体はしっかり務めるも神名帳でも噛み噛み。走りでは着物の結び方を間違えるし、後夜の時導師では途中から自分が何を言っているのか全く聞こえなくなる。かなり慌てていたようだ。こういう日もあるのだなぁと。


 午前1時35分 下堂


令和5年3月7日


 この日も権処さんはお仕事少なめ。とはいえ一つだけとてもキツイのがある。処世界さんの日記をお読みの方はピンとくるかもしれない。


 さて、日没の行法の後に行われる例時作法についてご存知だろうか?修二会では日没の時が終わると練行衆は二月堂の南西にある例の間へと向かい、西に向かって阿弥陀経の転読などを行う。これは奈良時代からある作法ではなく、天台からの借用であると思われる。


 この日没の行法であるが、行われるタイミングが違う日がある。7日はその一つだ。(残りは1日と12日)というのも、通常は13時に上堂してから日中・日没の行法を終えて15時すぎに下堂。そこからお風呂、仮眠して上堂という流れ。


 しかし、この日は日中の行法を終えたらすぐに下堂。それからお風呂なのだが、東側の部屋では色々とお仕事がある。大宿所では牛玉札の版木を湿したり、墨を作るなどの作業が、大導師宿所ではそれに関連して新入が牛玉誓紙へのサイン会。こちらも処世界さんの日記を参照のこと。


 そうして16時頃に改めて上堂してから日没の行法。さて、どうしてさきほど例時作法の話をしたのかと言うと、私がこの日の例時作法がとても好きだからだ。


 二月堂には様々な魅力があるが、そのうちの一つは絶景の夕日だろう。そう、この時間帯はまさに夕日に向かって阿弥陀経を唱えるのだ。例時の間の障子は夕日のオレンジ色に染まり、西から降り注ぐ強い光には阿弥陀如来の後光を感じるようで。


 この日はコロナ仕様になって以降では珍しく西局が開いており、生駒山へと沈みゆく夕日を観ることができた。普段の二月堂から観ることのできる景色。しかし、それまで暗がりの中で外とのつながりが断たれていたためか不思議な感動を覚えた。


 一方で処世界さんは「いつもの景色や」と安心感を覚えたようだ。

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