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執筆者の写真望月 大仙

権処さんの日記(二拾三)

令和5年3月3日



 今日も肌寒い。この日も娑婆の僧侶たちが挨拶にいらっしゃる。寺役もないので九時半頃には来るだろう。この日の挨拶は「次第時済みましておめでとうございます」というもの。昨日の日中には次第時が終わっているので、だいぶ前のことのように感じる。


 食堂へ向かう前に白梅に二羽のメジロが止まっている。加供奉行と和上さんが野鳥を眺め楽しむ。癒やしのひとときだ。これも東側の宿所の楽しみなのだろう。


 日没の後に、処世界さんが称揚に向けて習礼を行う。三礼のみであったが、これがまた見事なものであった。


 しかし、処世界さんの額には玉のような汗が。寒いお堂の中にも関わらずである。その緊張の度合いが見て取れた。


 今宵も宿所からの上堂。仲間さんと「悔過の摩訶般若〜は旋律が美しい。もっと長いバージョンがあってもよいのでは?」など他愛もない会話をしながらその時を待つ。上では処世界さんが今か今かと身構えていることだろう。


 松明に導かれ、上堂。いつものように細引を受け取るが、ピリピリとした空気を感じる。


 19時50分頃より悔過が始まる。別火坊でのお稽古について以前お話したが、初夜の称揚は後夜のそれとは別物。


 ガワとして参加する方も全身全霊で挑まねばならぬ。事実、称名では自分のことで手一杯。周りを見る余裕などない。


 宝号(南無観自在菩薩〜)になって、ようやく時導師の方を見やることができた。見れば身体は全身の隅々まで心が通ったような祈りの姿勢。力強く、そして静かな。


 ゆっくりと礼をする。その指先まで神経を集中しているのが分かる。初心忘れるべからず、というがまさに祈りにもこの心が大切に他ならない。


 代えがたい時間であり、大いに見習わねばならぬと感じる作法であった。一つ一つの作法に、心が一杯になれば、自ずと仏が応えてくれる。心造諸如来。


 大導師を挟んで、和上さんと処世界さんの二人が並ぶ。二人が揃って祈る様は、美しく。これが見れただけで、南座に来れたことを本当に喜ばしく思う。(これは南ニ、権処しか見れない)


 南無観の所作で焦る場面もあったが、見たところ間違いは無く、かえってガワが…という場面も。和上さんも後になって、もっと稽古しておけばなと悔やまれていた。


 初夜の終わりは22時20分頃。2時間半にわたる悔過。しかし、全く長いとは感じられなかった。それは他の練行衆も同じであったろう。


 心と身体と声明が、処世界さんの祈りとともに昇華され、観音様へ奉納された。そんな一時であった。


 ベテランの仲間さんに聞いたところ、これは例年の初夜称揚でもかなり長い方だと。しかし、今年ほどガワの揃った年は無かったとも。


 初夜の余韻もさることながら、自身は後夜の時導師。しかし、今ひとつ身が入りきらない。至心に祈ることで、仏は眼前に現れる。初夜で何を学んだのだろうかと。


 声明の節も悪癖が出る。どうにも心に余裕がないとそうなる。至心の祈りができ、心が澄み切った時に、その鏡に仏は表れるのだと実感する。


 2時45分下堂。


 

 


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