令和五年三月七日(続き)
小観音さんの出御(礼堂へ一度おいでになる)では権処世界は戸帳の上げ下げがお役目。楽なもので、松明の頭がにゅっと入ってくるので戸帳を上げる。それに処世界がちょいちょいと洒水で清める。小観音さんの台を出す。次に御輿。最後に中灯と出入りのあるたびに戸帳を上げる。それぞれに決まったお役目があるのがこの日の行事である。
この日の日記は淡白で、特記することは後夜の連れ五体。腕が痛いと泣き言が書いてある。後日、処世界さんから「権処さんの連れ五体の時の息遣いが部活でベンチプレス上げる時のそれなんですよね」と言われた。気合い入れないと乗り切れないのだ。
三月八日
娑婆挨拶。管長さんから「五体がよかった」と言われるも、はてなんのことかな?とピンとこない。つらい記憶であったため早々に奥の方に突っ込んでいたらしい。「えぁ、ありがとうございます」と不思議な返答になってしまったのは致し方のないこと。
八日の日中は宝物釣り。鏡を内陣、須弥壇の上部分にある長押のようなところに引っ掛ける。これにはどのような意味があるのだろう?鏡を上にというと三月どうも天蓋に鏡がある。なにか関係があるのだろうか?
日没では回向文のことを考えすぎて南無を忘れる。昨年以前にもやったことがあるのだが、この間違いはものすごい目立つし、恥ずかしい。
壇供積みでは土台がぐらついてないか。高さにばらつきがないかを見ながら積むべし。何度も積み直して、しかし結局二度も崩れてしまう。これによって下堂がかなり遅くなる。これには反省が必要だ。次回はまた来年以降になるが、覚えているだろうか?
この日から牛玉札を摺り始める。この時、神名帳は必ず北座のものが担当する。なぜかと問われれば単純な話で、混みすぎるからだ。ただでさえ南座と比較して人が多い北座だ。神名帳で南から出張してきた際などはもうぎゅうぎゅうで。牛玉摺りのときなどいわんや。
さて、処世界さんの日記でもお話したのだが、私はこの牛玉摺りが一番苦手なイベントである。制限時間内にすべての札を摺り終えなければならないプレッシャーと不器用さに拍車をかける。この御札はお礼としてお配りするものなので気が抜けない。三年間毎年取り組んできたが、全くコツが掴めないでいた。
しかし、四年目にして何となく方向性を掴むことに成功したのだ。それを皆さんにも紹介したい。
まず、版木であるがもちろん木でできている。ちなみに材質は桜であると伺った。硬い木なので長持ちするとか。聞いた話なので本当かは定かでない。
この版木というのは水を吸う。この木が乾燥していると墨を乗せても水分がすぐに吸われてしまい、うまく紙にまで乗らなくなる。それどころか紙の繊維が版木に張り付いてしまい、うまく擦れない上に目詰まりを起こす。
それを防ぐためにも版木を十分に湿らせる必要がある。これは参籠宿所でも大宿所で行われており「版木しめし」と呼ばれている。一年分の乾きを潤すのだ。だが、この版木というのはすぐに乾く。それはもうとてもとても。
なので、摺り始める前にもさらにもうひと湿しする必要がある。それは今までも先輩から教わっていたが、やはり足りなかったのだ。それはもうひたひたに、これでもかと水を加えねばならない。
これを事前に行い、少しでも紙が張り付くような兆候を見せればまた湿す。これによって万全の状態をキープ。これこそ四年目にして見出した突破口。これにて会中で最も苦手な行事ナンバーワンの座を、連れ五体に譲る事ができた、はず。しかし、まだ腕が痛い。
晨朝の時導師を務め、下堂。
三月九日
下七日になり二日目。まだ二日目なのかと驚く。これは上七日でも感じるのだが、何日も経っているかのような錯覚に陥るのが二日目。
初夜の上堂。鐘をつくのは権処さんの仕事なれど、中灯から堂司の松明を見れるというのは特権なのだ。九日も見ていると、火のつき方の違いや、歩き方の違い、早かったり遅かったり、竹の動かし方や、普段は笑顔の童子さんたちの真剣そのものの表情など観察する箇所は非常に多い。今日は権処童子と南二童子の火の回りがよく、北出仕口の時点でも大変良く燃えていた。
牛玉摺りの続きだが、前言を撤回せねばならない。水を入れすぎたのだ。特に陀羅尼の版木に難儀する。暗い中で完璧な仕事をするのは全く持って難しい。
今日も晨朝の時導師。今年最後の晨朝だ。気合を入れる。そうなるとどうなるか。失敗する。無念である。
三月十日
昨夜は暑く、寝苦しさを覚える。満行したあとの服装をどうしたものかと考えてしまう。この日は記念写真。今回は細殿の前の階段にて。たまに場所が変わるが誰が決めているのだろう。
(法螺についてのお話)書いていいか分からないので中略。講話会ではお話したかな?
牛玉摺りは初夜の大導師作法中に終わる。なかなかの良いペースなのでは?終わって宝讀を何枚か手伝う。基本的にお司が行っている。ここまで手が回ったのは初めてのこと。やはり上達している。ポンポンと小気味よく押していくが、これもなかなかコツがいる。
手水にて、処世界さんが終わらず疲れた表情。コツが掴めず悪戦苦闘しているとのこと。私も通った道だ。なんならまだその道にいる。北座の先輩方のお力添えもありなんとか終わった様子。
晨朝は五体。衆之一さんの真似をして失敗する。こりゃ痛い。弱り目にたたり目とばかりに戸帳に足を取られてコケる。踏んだり蹴ったりである。
三月十一日
衆之一さんから急に謝られる。ナンノコッチャと思ったら今日は初夜の時導師と神名帳が当たっているという。確かにこりゃ忙しい。行法の当番は別火中に衆之一さんが差配する。細かいルールがあるが、人のやることなのでこのようなケースはよくある。しかし、こういうイレギュラーに当たるというのは珍しく俄然燃えてくる。
日中が終わると香水をいただく。練行衆、そして三役、童子、仲間と瓶に香水を詰めていく。
夕方、出仕前の時間。18時45分になってもいつものアナウンスがない。おや?と思って見やれば今日は無観客デー。土曜ということで多くの人が詰めかけるのを危惧したようだ。
静まり返った宿所はいつもと異なり、不気味ささえ感じる。何となく「行くぞー!」という気勢が削がれてしまうように感じる。
しかし、童子さんたちはにぎやかだ。「今日はニコ生のための松明やな!」と。すっかりニコ生も参籠衆にはおなじみになったものだ。
この日の九本目、大導師さんのお松明にお寺の松明が上がる。この松明が上がる頃にはすでに内陣に入っているため見ることができない。ニコ生のみんな!おいらの代わりに見てくれよ!
初夜の時導師。観音様との対話の時間。肉色の観音様が目の前に現れたように見えた。こういう不思議な体験というのは二週間の参籠の中で一度くらい起こる。ありがたいこと。感得したことはここには書けないが、とても大切なことであった。一方で、声明が酷いものになってしまったことには観音様も苦笑いではなかろうか。
初夜が終わるとすぐに神名帳。つっかえるところもあり、これはお稽古を重ねる必要があると深く感じる。五十点くらいの出来。前回は二十点かな。
下堂後に、一時の鐘をようやく参籠宿所で聞けた。これは最初で最後だろうなぁと。
咒師部屋になって初めて知ったことだが、この日の下堂のあとに咒師さんは湯屋小袖を羽織り、閼伽井の確認に行かれていた。明日の大一番に向けての準備だ。
少々空気も冷えてきた。さて、明日はどうなるだろう。
三月十二日
実は夜の時導師はもう終わりなのだ。あとは日中日没のみ。ちょっとさみしい。咒師松明が出来上がり、宿所の前にドン!と置かれる。これも今までは見ることが出来なかった。部屋が反対側だからね。
参籠宿所では基本的に東西の移動はない。上の役職にお呼ばれした場合は行けるが、自発的に動くことはまずないのだ。天狗はまだついていない。天気の良い日には咒師松明に天狗のお面をつけるのが習わしになっている。鼻高々といったところか。
咒師松明とは、深夜のお水取りの際に咒師の足元を照らすために用いる松明で、その形状は非常に独特のもの。持ち方も抱えるようにして持つため不安定で、もちろんかなり重いらしい。一度しか用いられず、しかも深夜のお水取りの際のみということもあって、お目にかかることの難しい松明である。
しかし、実のところ修二会のメインイベントとも言えるお水取りの行法は多くの講社の皆様の協力や、雅楽の演奏などもあるため非常ににぎやかな行事になっている。そして、想像以上に見に来られる方が多いのだ。咒師さんも初めてみたときは人の多さに驚いたと仰っていた。
一昨年などは大荒れに荒れたこともあったため、天候が不安であったが今年はどうなるだろうか。観音様次第であろう。
暑い。数取り懴悔が半端なく、皆汗だくになる。16時30分お目覚。45分上堂。日没は五体。童子さんが見ているからと張り切った所、ひざを痛打。調子に乗るとこうなる。幸いにもこれが今年最後の五体投地。これ以上は無理。日没後は香水の柄杓を洗う。また走りが始まるのだなぁ。
八天習礼。錫杖を担当する。南から出て…と確認。習礼にはいないはずの四職がなぜか下堂せずに残る。緊張感のある習礼だ。
十八時半下堂。宿所にて待機。童子さんも緊張を口にする。童子さんの奥さんも毎日活躍をニコ生で見ているとのこと。関係者もお世話になっているのだ。咒師さんも次第の見直し。本番に向けて余念がない。
今日も無観客なれど、昨日のような和気あいあいとした雰囲気は全く感じられず、ピリピリとした空気が宿所全体を覆っているのを肌で感じる。加供奉行の掛け声で細殿に出仕。お司の大声で三度の案内が遣わされる。
通常は加供奉行が「時候の案内」「用事の案内」「出仕の案内」のそれぞれ三度の案内を行うが、この日の案内はそれぞれ違う者が行う。人選はおそらく加供奉行次第。基本的に仲間の中から若手が採用されるように思える。もちろん私も経験済みだ。
細殿でお司から大声で「〇〇の案内!」と案内役に指示する。これがまた大迫力で、普段のお司からは想像もできないような大声が細殿に響き渡る。
だいたいの場合、「時候」「用事」は仲間が、「出仕」は加供奉行が担当する。まず初め、お司から案内の指示を受けた仲間は勢いよく階段を駆け上がる。まずここで息が上がる。
そして、大声でもって堂内の処世界に案内をするのだが、ここで仲間さんは大きな声を出すことに慣れていないためか声が少々裏返ってしまったようだ。それが待機している参籠衆にまで聞こえるとほんの少し場が和んだ。
案内が終わると練行衆は食堂の東側の細いスペースへ移動。ここからは二月堂の欄干の様子がよく見える。もちろん上堂は権処が一番。「かんまえたーかんまえたー。権処さんの童子ー権処さんの童子ー!◯丸!!」と加供奉行の合図。「応!」と童子が応じ大きな籠松明に火が灯る。一番はじめということもあり加供奉行の声にも固さを感じた。
火がついてしまえばここからは童子さんの独壇場。力強い足取りで一段一段ゆっくりと上っていく。階段を登り終える頃には松明は大火球に。心のなかで「頑張ってください!」と応援し、足早に堂内へ。鐘つきを処世界さんと交代し、タタタッと駆けていく処世界さんの後ろ姿を見送る。
ふと見やると一日童子役の小院士さんが掃除をしていた。この日は処世界童子も松明を上げるため、普段とは異なり院士さんが童子役として掃除の手伝いをするのだ。曰く本当にギリギリの時間まで掃除をされていたという。なんというバイタリティか。到底敵わないなぁと。今年の処世界さんのすごさを目の当たりにする。
しかし、今年も西の局の扉は閉めたまま。年によっては礼堂から松明を見やることできるというのだがそれは未だ叶わず。残念。この日は礼堂へは一斉に入り一列になって四方礼拝を行う。四股は無し。
初夜読経は私が出だしを担当。気合はそこそこにミスのないように丁寧に読む。失敗せぬように…という意識が強い。やはりこの日は特別。初夜は何事もなく進行、南二さんの力を振り絞るような神名帳に聞き惚れる。その間に私は処世界さんと達陀用の松明に持ち手の藤づるを巻く。これによってグリップが効くのだ。
この日の走りは権処が下数。つまり最後まで走り続けるお役目。下数からの香水配りはちょっと慌ただしい。今年は配る相手も少ないが、来年はきっと忙しくなるだろうなぁ。色々と考え事をしていたせいか本手水から帰る時にコケる。
修二会の行法では「たっつけ袴」というものを履く。これを用いるは南都の特色らしい。足首の部分がゴム紐でキュッとした袴なのだ。これももちろんお寺からお借りしているのだが、何分サイズが合わない。なので気を抜くとずり落ちてきてしまうのだ。そしてコケる。来年にはこれだけでも自前で用意してこようかしら。
お水取り。松明をもらい火をつける。天気は曇り。外に出るととても暖かく過ごしやすい気温。参拝の方もこれなら楽だろう。雨予報であったがなんとかもってくれた。これも咒師さんの功力に違いない。
達陀では水天。しかし、突っ込みすぎてもろに顔に熱風を浴びてしまう。アチチチチチ!後で注意されたが水天を行う際はしっかりと手を伸ばすこと、でないと洒水器と体の距離が近くなってしまいこのようなミスに繋がる。
達陀が終わる頃には外は大雨。まるで水天さんが喜んでいるようだなぁ。
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