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執筆者の写真望月 大仙

権処さんの日記(九)



 先日の奈良で行われた講話会にて、前々回の「ひも」に関する質問が出ました。

 

 この紐は、太めのタコ糸と半紙、のりがあれば作ることのできるものです。残念ながら人数が3人いないとできないのですが、そういった修二会に関わるお道具を作ってみる ワークショップ なんていうのも 面白いかもしれませんね。


令和5年2月26日


 総別火に入ったらばまず糊を作る。これは先述したが、何かと紙を切った貼ったするため修二会において無くてはならない一品だ。


 しかし、試別火では仲間が作った糊を用いていたのに、総別火に入ったら練行衆が作るのか。しかも、真言で加持をしながらである。これには明確な理由はないが、ここで作った糊は大きな笹の葉で包み、二月堂内陣にも持ち込むものであるから明確に分けているのでは無いかと考察する。


 内陣に持ち込むものは一々香水で洒水加持するなど、清浄に保つことを意識しているのだ。ではこの糊は具体的にどんなところで用いるのか?といえば、例えば時数表と呼ばれる行中の当番表を壁に貼り付けたりだ。


 そして、糊作りの次に行うのはその時数表の書き写しである。これは修二会の聴聞をされる方からはいつも事前に教えてくれないものか?とねだられるのだが、あまり外に出すものでもないのだろう。もしかしたら、局から双眼鏡を使えば読めたりするのだろうか…?



 さて、処世界においても総別火に入ってからこの作業に従事したわけなのだが、今年は何を隠そう身体的に楽なのだ。というのも北と南では使えるスペースが違う。それは内陣だけでなく総別火でも同じなのだ。なにせ人一人分少ないのだから、その分使えるスペースも増える。


 反対側を見れば処世界さんが身を縮こませて必死に書き物をしているではないか。私も昨年まではそうだったのだなぁとしみじみ思いながら、今のこの環境を存分に味わうことにした。


 総別火に入ると「勤行」という時間がある。これは阿弥陀経(夕方)や観音経(朝)を読誦するのだが、私にとってこれは癒やしの時間になっている。なにかと作業に追われる別火にあって時間を気にせずに読経に集中できるというのはなんともありがたく感じるのだ。できる限りゆっくり行うのが私のやり方だ。


 それが終わると耳鳴りがするほどの静寂が訪れる。時折紙をめくる音がする程度だ。これが総別火の空気感。いままでとは緊張の度合いが違う。


 20時からは稽古。常の節で行う。試別火と異なり大導師さんや和上さんも参加されるので、改めてここで細かな確認が行われる。新入処世界の稽古は明日に行うので本日は南二以下が行う。



 終わって今度は粟の飯のための下ごしらえ。粟の飯とは差懸と呼ばれる内陣で用いる下駄(ガタガタ音を鳴らすやつ)の裏に滑り止めとして粟を焼けた鉄灸で焼き付ける作業である。(しかも早朝の四時に行う。なんで?)


 就寝前に炉に炭を多く入れて鉄灸を差し込み藁灰を被せて燃焼を遅くする。うまくいくと真っ赤に熱された鉄灸が出来上がるのだが、過去3年間でもうまくいった記憶がない。


 しかし、今までの経験を総動員した今年は自信がある。午前四時前、起きてに結果、藁灰をどける。すると、真っ赤に熱された鉄灸があるでは無いか!この感動は決して余人には理解されないであろうが、私はこの上ない達成感に満たされていた。その鉄灸を用いて全員分、1人二足あるので都合22足、それぞれ二箇所につけるので全部で88箇所に粟をつけていくのだが、しかしてこれもスムーズに進む。これがアツアツ鉄灸の力だ!


 そして「粟の飯焼けて候、お目覚まされ候」と処世界さんが言う。去年までは私の役割であったそれを後ろから眺めるのだった。


〈参考〉

この日の処世界さん

「処世界さんの日記」20〜


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