令和5年2月24日
朝から雨。この日の作業は「紐」から始まった。
紐の正式な名称はあるのだろうか?おそらく無い。牛玉箱や掛本尊を縛るための紐なのだが、これはタコ糸に紙を巻いて作っている。白い紙は清浄の証。実はこれも毎年新しく紙を貼っているのだ。
これに関しては下の三人が担当。処世界から中灯までがやいのやいのと言いながらすべての練行衆の紐に紙を巻き付けていく。これがまた繊細な作業で、上手い下手がある。私は下手な部類だ。なので器用な中灯さんに多くを任せてしまう。だめな権処です。
午前中で作業は終わり、昼食を食べればあとは自由な時間。お稽古に当てることもできるが、ふと部屋に置いてあった朝日新聞の地域欄をみる。多くの場合修二会の記事が載っているのだ。
なんと私の写真が良い具合に載っているではないか。一部もらえないかと交渉し、翌日にもらう約束を取り付ける。こういうのは嬉しいのだ。
新入があるため、練行衆の中では権処の風呂が最後だ。この日は朝から餅つきをしていたため三役さんは先に入っているため、本当の意味で最後の番だ。次に入る人の事を考えずにゆっくり 1人で浸かることができるというのは何よりの贅沢である。この一人で心ゆくまでのんびりできる時間というのは修二会においては何よりも貴重なひとときなのだ。
2月25日 土曜 晴れ
修二会には何日か晴れてほしい日というものがあるが、 この日もそのうちの一つだ。
朝食が終わると仲間から紙衣の反物が配られる。これは来年の紙衣の原材料になるのだ。ただ、ここで渡される紙衣の元は糊や寒天などでまだ湿っている。
なのでもらい次第、練行衆は各々自坊に持ち帰り乾かすのだ。でなければ変なところでくっついてしまう。もちろん私はそれを華厳寮に持っていき、衣紋掛けをうまく利用して部屋干し。かなりのスペースを専有する。
13時過ぎには席決め。大広間に集まり、総別火以降の座る位置を確認する。本来は上の職の方からここに座るようにと座配があるそうだが、今は人数も決まっているのでそれぞれが自分の判断で席につく。
席についたらすぐに立ち上がって社参へと出かける。そう、二月堂まで行かねばならぬ。故にこの日は晴れてほしい。ちなみに外に出る日は2/21,25,28,3/12,15である。この日は晴天であれと願わざるを得ない。本日は実に社参日和と言えよう。
さて、参拝を終えれば解散となる。実はここで試別火は一区切り。明日の総別火までの時間を捨て火という。例年であれば別火坊に戻らず、それぞれの自坊で食事をとったり、家族との時間を過ごすのだ。残念ながら遠方末寺の私には関係のない話だ。
しかし、コロナ禍での隔離生活ということも有り、別火坊で食事を取るのが通例になっている。それでも塔頭僧侶らは自坊で自分の時間を取れるのだ。私にとって自分の時間とは三月堂での参拝だ。とはいえ中に入って良いものか?と悩み、仕方ないので正面で参拝。羂索さんに修二会の無事を改めて祈念。
別火坊へ戻るも何もすることがないのでとっとと風呂に入るのだ。堂童子さんと相風呂。風呂は二人ずつ入るのだが、この権処・堂童子の取り合わせは処世界が新入だから成り立つ。来年以降は無いんですねぇなどと時の流れをしみじみ感じながらの入浴。
これより明日の風呂で総別火に入るまでは袈裟もしない。お祓いなどもない。制限がゆるくなる最後の瞬間。華厳寮でのんびり。エアコンも使って良いのだが、これは火だろうか?いや今はいいのかな?などちょっと後ろめたくて使えない。
しばらく神名帳のお稽古に励む。しかし、やはり寒いので別火坊に戻ろう…。うーん、せっかく温まったのに冷えてしまった。「紙衣」や「素絹」などの総別火入りに必要なものを持って別火坊へ。
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