処世界さんの日記(参拾参)



 初めに、現在このお話は奈良のホテルにて執筆しております。そう、修二会に参籠するための隔離期間。それが2週間。  そのような事情もあり、お寺の作務と合わせてなかなか落ち着いて日記を書く時間が取れませんでした。この日記を楽しみにしていらっしゃった方には大変申し訳なく思います。

 今日からは基本的に毎日更新を目指し、ホテル隔離の終わるまでには日記を書き終えることを目標にしていきたいと思います。できるかな?できるといいな。

 また、改稿や補足もしていきたいのでわからない部分やもっと詳しく書いてほしい部分についてはコメントやメールをお願いします。



令和二年三月一日

 

 朝。八時半頃に起床。遅いということなかれ、就寝が遅いのだ。もっと寝ていても良いように思えるかもしれないが、興奮して眠れない。そして、この年の三月は暖かかった。


 戒壇院の庫裏に設けられた別火坊で二週間過ごしたが、その多くは一人寂しく眠っていた。しかし、その後は大人数とはいえ広間での就寝。どちらもなかなか冷える。特に一人部屋の時は。だが、この参籠宿所はどうだろうか?密閉空間である。横になると頭の上には炉があり、一酸化炭素中毒が心配されるほどだ(実際は隙間があるので大丈夫)。


 つまり、参籠宿所はかなり温かい建物なのです。室町時代に作られ、重要文化財として登録されていますが現役バリバリ。近年も補修され隙間風などはほとんど無いのです。そして、そんなこととはつゆ知らず別火坊と同じ調子で着込んだ処世界さんはかえって熱く寝苦しさを覚えるのであった。


 そんなこともありぐっすりとは行かない眠りからの目覚め。九時半には娑婆古練が挨拶に来られるということでバタバタ。とはいえコロナの影響もあって挨拶は戸口で行う。本来は茶菓などを出して持て成すのが通例。この頃からだいぶきな臭さが増してきたものの、今のような世界は想像だにしていませんでしたね。このように今まで維持されてきた作法が形を変えていき、もとに戻ることがあるのでしょうか。もう戻れない、失われたものもたくさんあることでしょうね。これも大変な災禍でしょう。


 さて、面会謝絶と相成った練行衆。例年通りであれば挨拶に来られた方にお抹茶を点てるのはその部屋の下の者のお役目。すわ茶会の水屋で鍛えた茶筅振りの出番かとも思っておりましたが、肩透かし。静かな午前中が過ぎていきます。

 

 同室は大導師、上司永照師。これからの注意点や、修二会についての知識など様々なお話をしてくださいます。この日は「阿弥陀讃」についてお話。日没の行法の終わりに、西の例事の間という部屋にて西方を向き「阿弥陀讃」と呼ばれる不思議なお経を唱える。


 本来は阿弥陀経の読誦であったそうだが、ここで唱えられる経は念仏超脱輪廻捷径経などに見られる阿弥陀如来の佛讃に始まり、華厳経などの経典からの抜粋を合わせてある。この阿弥陀讃は華厳宗の諸経要集には載っておらず、しかして在家用の経本には載っているという。大導師さんも不思議がっていらした。


 在家用経典をお借りして、何度か口ずさむ。大導師さんは食堂作法に次第を確認されていた。そう、まもなくお昼の時間である。私も食堂作法の見直しをせねば!さて、食堂作法であるが行うことは昨夜の授戒同様に鐘つきである。しかしてそのタイミングだ。鐘の数は昨夜の比ではない。緊張する。食堂での作法はたんなる食事の作法ではない。ここでも天下泰平万民豊楽のための祈りが行われる。大導師が主となり、堂司と息を合わせながら内閣総理大臣を始めとする為政者から寄進者など多くの方々の名前を読み上げ、祈念する。その際に処世界は鐘を叩くのである。


 12時を前に加供が部屋にやってきて「お茶はいかが」と一言。それを受けて私は重衣を纏い食堂用の袈裟をつける。初めての食堂作法にドキドキの処世界さん。鐘つきだけでなく食堂作法も極めて複雑だ。いままでの別火での食事のようにただ出されたものをいただけばよいというわけでもない。給仕する側も大変だが、される側も大変なのだ。


 先輩の僧侶からは、正面の人のやることを見ていれば良いとのアドバイス。ただし正面の人が違ったことをすれば一蓮托生だ。と。緊張がほぐれたところで堂司が食堂へと向かう。処世界さんはそれを見て「ついていけばよいのかな?」と一歩出かけるも「ちゃうちゃう」と引き止められる。


 堂司が食堂内の鐘を叩くのを合図に食堂へと向かうということだ。さっそくフライングした処世界さんは恥ずかしがりつつ念珠を擦りながら小走り。下郎順なので私を先頭に食堂へと入り昨夜と同じ席に坐る。


 坐ると堂司から鐘を叩く棒を受け取る。このとき、処世界日記を抜粋した紙を参照するのも忘れない。何も見ずに鐘を叩くのは至難の業。別火にて大導師さんから伝授を受けたものの、食堂作法のイメージができず記憶の取っ掛かりがなくて覚えられない。仲間時代も、この食堂での大導師作法は見ていないのだ。例えば処世界日記には以下のように書かれている。



 長年の修二会ファンの方であればなるほどと思われるでしょう。しかし、残念ながら処世界さんにはなんのことやらです。まず、「堂童子三ツ撞」。堂童子が食堂作法の前に二月堂にて鐘を三度撞きやるのだそうだ。そして、その2つ目が鳴ったタイミングで処世界が二回鐘を叩く。とのこと。処世界さんは「いつ鐘がなるのか」と耳を澄まして精神を集中…。


 するとかすかに聞こえてくる…ゴーン…ゴーン…今だ!すかさず鐘をカンカン!その後も習った通りのタイミングで鐘を叩く。しかし、繰り返しているうちに段々とこれで良いのかわからなくなってきた。ここは二回叩くところだろうか?それとも一回だろうか?いや少ないよりは多いほうが良いだろう。ええいままよ!カンカン。とまぁ幸いにもあっていたのだが肝が冷える思いをしながらカネタタキを終えた。


 ただし、棒は二回落とした。その後も正面の咒師さんを見れば良いとのアドバイスも完全に頭から吹き飛びアワアワしていると権処世界さんや童子さん、駈士さんからの助け舟。鼻紙の差し方が違ったり、白湯を大量にがぶ飲みしたりしながらなんとか無事に食堂作法を乗り切ったのだ。もちろん、ご飯は大変美味しく頂戴しました。


 ちなみに、食堂を出る際に生飯(さば)投げと呼ばれる作法がある。白米を半紙に包み、それを閼伽井の方へと投げる。これは、鳥獣への布施で、大抵は鹿やカラスが持っていく。ただし、新入の処世界はこれを八日まで行えない。一人だけしれっと出ていくのだ。


生飯投げの記事

https://www.sankei.com/article/20180309-WW3LKS57OBOBDAJKRAPGFOAS3A/


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