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執筆者の写真望月 大仙

処世界さんの日記(弐拾参)


令和二年二月二十七 ~ 八日 「粟の飯焼けて候」


 処世界さんのお仕事その2。それは「粟の飯」。これを知っている人はあまりいないのでは無いだろうか。なぜならものすごい地味だから。


 差懸については何度かお話しているが、その裏を見たことある人はあまりいないでしょう。奈良県立美術館でのお水取り展でも差懸の展示はあっても未使用の裏側を見せることは無いように思える。では、お見せしましょう!これが差懸の裏側だ!



 どうでしょう?思ったとおりでしたか?まぁ、面白いものは何もありませんね。しかし、これで木の板でできた床を踏みしめているとお考えください。何が起きるでしょうか?そう!滑ります。


 二月堂の内陣では必ずこの差懸を履いて練り歩くわけですが、たまにものすごく滑る床というものが存在します。私自身よくズルっと滑っております。どこにスリップスポットがあるのかは内緒です。よくよく観察しているともしかしたら気づくかも?


 それなら滑り止めになるものは無いのか?これが実は「粟の飯」なんです。写真をよく見ると変なものがこびりついていることに気づきませんか?これはその名の通り粟飯です。それを差懸の裏側に焼き付けることで滑り止めにしようというものです。言っている意味がわからないですか?私もわかりませんし、なぜ粟なのかもわかりません。


 どのように焼き付けるのかというと、まず火鉢にて大量の炭を起こしましす。そして山になった炭の中に「鉄灸」を差し入れます。その姿はさながらヤマアラシ。ヤマアラシって見たことあります?私はスリランカで野生のヤマアラシに出会ったことがあるんですが、想像以上にでかくてびっくりしたものです。刺されると細菌が入ってえらいことになるとか…。


 ヤマアラシ状態になった炭の山の上から藁灰(わらばい)をふりかける。この藁灰が厄介で、目に入ると痛いし、鼻の穴にも入ってくる。目に入っても大変なので気をつけながらの作業。其の上から水をかける。酸素の供給を少なくすることで、炭の持ちを良くするとか。これも毎晩行う処世界さんの仕事です。


 そうして、準備が整ったなら今度は焼付作業。これは独りでは出来ないので権処世界さんと一緒に行います。しかし其の時間が不思議。合理的に考えれば、焼いてすぐ行えば良いと思いますが、他の練行衆が寝静まった午前3時半。処世界さんと権処さんはムクリと起き、紙衣の上に湯屋小袖を羽織り布団から抜け出します。


 寝る前に熱しておいた鉄灸を取り出すと、その先端は真っ赤に熱せられております。音を立てぬよう静かに立ち回らねばなりません。権処さんは粟の飯を差しかけの上下にぺたりとくっつける。それを鉄灸で「ジュウ」と焼き付けていきます。


 飯の焼けるなんとも良い匂いがしますが、真っ暗な中の作業で、手には高温に熱せられた鉄灸。あんまり食欲は湧きません。11人分、それぞれ二足の差懸を作業するわけですからなかなか骨の折れる作業。手持ちの鉄灸が冷えて使えなくなると縁側から庭に鉄灸を投げます。


 冷えたと言ってもまだ熱いので冷ますためにも庭に置いておくのです。しかし、あまり遠くに投げると庭の苔の上に落ちてしまい苔が死んでしまう。そっとましたに落とすよう注意されますが、なんとなくつい楽しくなって投げてしまう。完全に深夜のノリなのです。


(今、この記事を書いていて気づいたんですが、ひょっとして「投げる」って方言ですか?これはまずいぞ…汗)


 そうして何本もの鉄灸を使い焼き付け終わると、練行衆が寝ている大広間のふすまをちょいと開けこう言うのです。


「粟の飯焼けて候、おめ覚まされ候」


 そうすると粟の飯の焼ける良い匂いに起こされた誰かが「おう」と答えてくれます。これで修二会の中でも何故行われているのかわからない作法の一つ「粟の飯」の終了です。翌朝、目が覚めると練行衆が縁側にやってきて粟の飯品評会が始まります。


 「今年の粟の焼け方はイマイチだな…」「もっと鉄灸はアチアチにしておかないと」などありがたいアドヴァイスをいただきます。初年度なので勘弁していただきたい。(二年目のほうができが悪かったのは内緒です)


 しかし、この滑り止めの粟の飯なのですが、焼き付けを行うのはこの一回のみです。その後、粟の飯が取れてしまっても再度行うことはありません。いくら考えても、やはり不思議な作法なのです。本来のあり方はどうだったのか。もはや知る人はいません。修二会にはそういった不思議がたくさんありますが、この不思議こそが修二会の魅力の一つなのでしょうね。


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