令和二年二月二十七日(お料理)
「お料理」
加供奉行がそう言うと食事が運ばれてきます。大広間の真ん中に加供を先頭に四人の仲間が入ってきます。それぞれがお盆を持ち、和上から順に配膳していく。処世界さんは一番最後。お椀には「七」と書かれている。
衆之一から順に番号が振られ、上位の四人(四職)は別枠。なんて書かれているんだろう。今度聞いてみようかな。「和」とか?大導師さんは「大」なのか「導」なのか。
この時から食事は生飯(さば)を取るようになります。料理の一部を取り分け、動物たちに施すのです。二月堂の下の食堂で練行衆がご飯を投げる生飯投げが有名ですが、実はお米以外も与えているのですね。
なぜこのようなことをするのか諸説ありますが、一説には漂っている悪霊や其の地に住まう見えないもの、鬼神を鎮めるためなどと言われています。たいてい、カラスや鹿の餌になっておりますが、食べ物を布施することが重要なのでしょう。
この生飯取りですが、ここで私はいつも悩みます。メインのお椀、小鉢、味噌汁、ご飯からそれぞれ少しずつ皆さん取られているのですが、美味しい料理はなるべく残したい…。基本的に好き嫌いもないのでどれも捨てがたい。特に天ぷらが出た時は大いに悩みます。どれを外しても大きい(汗)
天ぷらといえば、余談ですが修二会に入ると何故か紅生姜の天ぷらに出会います。十年前の仲間で籠もったときには衝撃を受けました。いや、紅生姜と玉ねぎのかき揚げであれば今では丸亀製麺なんかでも見られますが当時の私にとっては初めての出会いでした。
しかも、刻む前の紅生姜の天ぷらなんて想像の範囲外です。そもそも、刻まれてない紅生姜自体初めて見た。だって一枚の板になっている紅生姜ですよ?この衝撃はわすれもしません。好き嫌いが分かれるとは思いますが、私は大好きになってしまいうどん屋にいくと必ず探してしまいますね。関西の方の料理なのでしょうか?
さて、別火坊での食事。この給仕の方法がちょっと変わっている。まず、大広間の真ん中に加供奉行を先頭に仲間が並ぶ。加供奉行は四職の給仕を専門に行い、残りの練行衆を仲間が給仕する。
初めはご飯だ。ご飯は始めからよそってあるわけでなく、お櫃に入ったほかほかのお米を上の役の人から順に仲間さんがよそってくださる。しかし、この時わざわざ立ちあがるなんて効率の悪いことはしない。
仲間はそれぞれお盆を持っており、仲間が差し出すお盆に茶碗を乗せると、オヒツのところまでリレーのようにお盆をスライドさせて持っていくのだ。受け取る側は自分の持っている空のお盆をスライドさせて茶碗の乗ったお盆と交換する。これを繰り返すことでスムーズにご飯の給仕が出来るのだ!
スルスルと移動するご飯茶碗には思わず見とれてしまうと同時に、「あれやったなー」と懐かしく思う処世界さん。ご飯と薬味が行き渡ると和上が「等供」(とうぐ)と言うのを合図に念珠を擦りご飯が食べられる。
ちなみに、御飯と味噌汁はお替り自由。ご飯のお替りは先程と同じくリレー形式。味噌汁の場合は一番うしろの仲間までお椀を回すと「アツモン!」と叫びながら厨房へ向かう。記憶が定かではないが、たしかこの時は童子さんが手伝いに来ておりこれまた厨房までお椀をリレーしてくださる。もちろん、童子さんは大広間まで入ることが出来ないので結界の外で待機している。味噌汁をよそうだけだがこれだけの手間がかかっているというのは不思議の一言。
全員が食べ終わるとお茶が配られる。総別火に入った練行衆はこのお茶しか飲むことができない。それぞれが持っている湯呑に急須からお茶をとる。このお茶がその日の水分となる。ゆえに皆、たっぷりと注ぐ。もちろん、上の役から。そうすると何が起こるのか。そう、私の分がない。
この日はしっかりと飲めたが、ある日お茶を入れようとするも、なにもでてこない。ふと右の方を見やると、先達がすまなそうな顔をしている。まれに起こる。そうすると次の食事の際に私より上の先輩たちは気を使って少なめに注ぐ。そうするとたくさん数多状態で渡しのところまで来るのだ。今度は私が申し訳無さそうな顔をする番だ。
食事の間、練行衆は一言も言葉を発することはない。しかし、この時間は何より楽しむことが出来る時間。いつも料理を作ってくださる院士さん、小院士さん、大炊さんには心から感謝しております。また、食材をご寄進くださっているお会いしたこともない方々にも感謝と祈りを込めて行に励む。これが行者の心の持ち方なのだと思います。
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