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執筆者の写真望月 大仙

処世界さんの日記(六)二月十六日

令和二年二月十六日



 15日から参籠する練行衆は一人ですが、参籠する人がいないかと問われれば答えはノーです。


 私の参籠に合わせて食事の支度をしてくださる「院士」。その補佐の「小院士」、ご飯を炊いてくださる「大炊(おおい)」さん達です。わざわざご飯を作ってくださるということでなんとありがたいことでしょうか。


 ちなみにこの年の小院士さんはミュージシャンのスティーヴ エトウ(@Steve_Eto)さん!仲間(ちゅうげん)として籠もられた経験があり、パワーに溢れた方なので、後から年齢を聞いてびっくりしました汗。


 しかし、上げ膳下げ前でご飯が出てくる。しかも私だけのために。小市民であるゆえなんだか申し訳なく思ってしまう。私自身、自炊能力は低いのでやれと言われても不可能でしたし、仮に自炊できる人でも炎を使って釜で炊くのは難儀するでしょうが。大炊さんには感謝しきりです。


 この日の朝食から別火坊での食事が始まりますが、別火坊での朝食は質素なのものです。前日からおひつに入れておいたつけ飯と茶粥、そしてお新香。これが基本となります。10年前は給仕する側だったなぁと仲間(ちゅうげん)時代の思い出を呼び起こされながら奈良の名物、茶粥をかっこみます。


 この時に出てくるタクアンは、なぜか長方形をしていまして。他では見ない切り方で不思議に思っているのですが、なにかご存じの方はいらっしゃれば教えていただきたいですね。

 ただ、私はこの形のたくあんが好きで、毎食四切れほどとってはポリポリと。たくあんをおかずにご飯をおかわり。相変わらず別火坊のお米はうまい!やはり火が違いますね。別けているだけのことはありまます。

 さて、前日の日記に「ちゃんぶくろ」の話をしましたね。普段は直綴という黒い衣に五条袈裟の装いで参列する寺役もこのちゃんぶくろで出仕する必要があります。


 16日は開山堂での寺役。その日の天候は雨。番傘さして白い衣に下駄の音鳴らし境内を端から端まで。足を冷たい雨に濡らしつつ、いつもどおり待機場所に座ると「君、その格好になるんだね」と上座の方々も意外そうな顔をされていました。


 前例が無いのですが、常のように…ということでちゃんぶくろでの出仕であることを伝えますと「まぁ、そういうものか」と特に気にするでもありません。気にしているのは寒いなぁ冷たいなぁと思う当人ばかりです。


 茶も饅頭もお預けを食らいながら、再び端から端へと歩いて戻り、しばらくすると中灯(ちゅうどう)さんが来訪。何しに来られたのかな?と尋ねると「アルコール消毒を置きに来たんや。なにかする時はこれを使いな」とのこと。いまでこそあって当然。しかし、当時の私にとっては急に現れたアルコール消毒液にどこか違和感を覚えたものです。これが私にとって始めて目の前に現れたコロナの影でした。


 昼食は、温かいごはんに厚揚げの煮物、ごまのおひたしに、カブのお味噌汁。やはり白米が美味い。「ウマイ!ウマイ!」と何杯もおかわり。やたら白米を食べる処世界として今後認知されていくようになります。


 お腹も膨れたところで作業の始まりです。新入が通常の練行衆よりも早く別火入りするのには、なれておらず十分に練習するためということもありますが、別火中の作業が多く時間がかかってしまうという理由もあります。


 その最たるものが「紙衣しぼり」でしょう。「紙衣(かみこ)」とは和紙でできた衣のことで、練行衆は修二会の期間中、この紙衣を常に纏います。それは清浄であることを示すためでもあり、同時に紙でできた衣は保温性に優れており温かいためでもあります。


 写真は絞る前の仙花紙と、絞り終えた反物。


 和紙は通常の和紙ではなく、特殊な「仙花紙」と呼ばれる紙で、繊維の向きの違う和紙を二枚重ねて作られており、耐久性にも優れています。これを何度もクシャクシャにして柔らかくすることを布のような触感になるまで繰り返します。


 一枚の大きさ、厚さは画用紙程度で、これを40から45枚ほど使って紙衣一着分の反物が出来上がります。練行衆は毎年、別火坊にてこの作業を行い、来年分の紙衣の準備を行うのが習わしとなっています。


 「あれ?来年分なの?今年のはどうするんだ?」と思われますよね。そうなのです。新入の練行衆には紙衣の反物が存在しないのです。ではどうするのか?答えは師僧から譲っていただくことです。


 私も例にもれず、師僧である筒井寛昭長老から紙衣の材料を譲り受けて、急いで着物の形に仕立てていただきました。この仕立てなのですが、通常の白衣に紙衣の紙を縫い付けるようにして作られています。


 そして、紙を縫うわけですから、手作業で行う場合非常に力が必要で大変な作業となります。かつては、紙衣を仕上げることができた針子さんはお嫁に行けるというご利益があったそうです。また、それは紙衣を仕上げることができるだけの腕があればどこにでも嫁に行けるという意味だという方もいらっしゃいました。


 修二会にまつわるこのような小さなご利益は意外と多いのです。(お嫁に行けるというのは大きいかもしれませんが…汗)


 「紙衣しぼり」は別火坊で最も力と時間のかかる作業の一つですが、先述の通り新入は今年の紙衣を師僧から頂いております。ということは、お返ししなければなりません。でなければ、師僧が翌年以降着るための紙衣がなくなってしまいます。そして、自身の紙衣も来年のために作らねばならぬ。つまり二倍の労力がかかるわけです。


 しかし、実のところこの紙衣しぼりは初体験ではありません。10年前の「仲間(ちゅううげん)」時代に経験済みです。仲間の頭である「加供奉行(かくぶぎょう)」の厳しい指導のもと、仲間はひいひい言いながら上座の練行衆の紙衣を絞るのです。お奉行が厳しく審査しますので、その出来は良いものとなります。


 その経験を活かして…いやぁ十年も前のことなので殆ど覚えておりません。北二さんに指導をお願いして、一人黙々と作業に取り掛かります。修二会は集団行動が常。しかし、今日から20日の午後七時に他の練行衆がいらっしゃるまでの間は一人。なんとも贅沢な時間だなぁ。


 夕食も院士さんがご用意してくださいます。ふろふき大根に胡麻のだれ。くるみが少し乗っていて風味が素晴らしい。汁物はすましでシンプルで豊かなお味。ご飯もおひつを空にしてやろうという勢い。本当に贅沢な時間だなぁ。


 院士さんらは籠もっているといっても、別に寝泊まりしているわけではございません。別火坊に泊まるのは私一人でございます。広い部屋で一人寝ているわけですが、最近リフォームを行ったこの建物、あちこちからラップ音が聞こえるのはもはやご愛嬌。それ以上に私にとって深刻な問題は枕問題。


 先日の日記でも記述したように、寝具は「白」でなければなりません。そのため愛用の枕が使用できず、急遽購入したもの。これが合わない。早急になんとかしなければ!と思いつつ就寝。また明日。


登場人物補足

北ニさん ・・・ 「北衆之ニ」という役職で北ニ(きたに)さんと呼ばれる。11人のうちの上から7番目。練行衆へのお見舞いの管理・記録を行っており、お堂の外でも多忙な役職である。この年の北二さんは私の兄弟子。後輩思いでとても頼りなる先輩です。

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