処世界さんの日記(五拾一)

 さて、いよいよ本行も最終日になりますが、この日の日記を書くのが難航しております。それは私の日記にはこの日の内容が殆ど書かれていないからです。なぜ最後の日の日記が無いのか。それは修二会最後の日が端的に言えば、一年目の練行衆が書き残せるような内容ではないためです。  聴聞に訪れた方ならば分かるかもしれませんが、本当に混沌としています。全員が無我夢中で気づいたら終っている。メモを取る余裕もなければ、日記に書くだけの余力も失っています。3年目の処世界さんでようやくアウトラインがわかるくらいのものです。なので、少ない記録や今年の経験を元に思い出しながら書き進めていきたいと思います。

令和二年三月十四日  最後の日である。本年は新型コロナウイルスの影響で訪問客も無く、極めて平穏な日々を送っているものの、例年もこの日の午前中は静かなものだそうだ。  その間に練行衆は徐々に片付けを始める。下着類などは今日明日分を残して全て華厳寮へと下し、常備薬や諸々の御見舞の品、道具類も使わないと判断したものはどんどん持っていってもらう。  そして、満行後に用いる素絹も用意しなければなりません。白い絹でできた衣で、修二会を満行して初めて着ることができるようになります。その作りは他の衣と全く異なり、作るにも非常に時間がかかるそうです。  さて、片付けをしているとあっという間に食堂の時間。今日でこの美味しい釜炊きご飯も食べ納め。そう思うとたくさん食べねば!という張り切ってしまうのは仕方のないことですよね。ご飯が大好きな処世界さんは今までにないほど白米をかっ喰らいます。  結果としてしゃもじが立つか立たないかくらいのご飯しか残らなかった。いやぁ我ながらよく食べたなぁ。少なくとも2合、いや3合近くはたべたのでは?満腹満腹。いや、この後の日中には数取り懺悔があったような…これはマズイかもしれない。


 そんなことをのんきに考えていた処世界ですが、食器を下げる際に少ししか鉢にご飯が残っていないのを見た和上さんから、「処世界!ご飯の残りは童子さんたちの分や!半分は残しておかなあかん!」と怒られてしまいます…。  最終日にして初めて知る事実。誰も教えてくれなかったため処世界さんは何も考えず遠慮なく食べてしまったのです。  まだ食料状況のよくない戦中、戦前の時代には少しでも多く食べようとした練行衆といたという話も聞きましたが、この飽食の時代。きっと私はご飯の食べ過ぎで怒られた唯一の練行衆でしょう。  そんなこともあった後、最終日ということで気が抜けているんですね。日中の掃除の折に牛玉結界を長箒で切ってしまいます。あの長箒の後ろの方までなかなか意識が回りません(汗)しかも、切ってしまったら回廊からはしごをまた持ってきて、結び直さねばならない…。先輩方にはお手間をおかけして申し訳ないです。

※今年の長箒。搬入前は別火坊に置かれているようです。

 さて、14日における六時の行法は近年では、1日に上郎から順に時導師と五体を勤めるのとは逆に晨朝の衆之一から逆算して時導師と五体を勤めます。(後夜は南衆、半夜は北二…)  ただし、これは必ずそうしなければならないという類のものではないそうで、今後この決まりが継続するかは分かりません。しかし、この形で行くと処世界さんは五体が当たりません!それも相まってお役御免とばかりに気が抜けてしまっていたのかもしれませんね。

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