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処世界さんの日記(三)

令和二年二月十二日 中篇






 十二日の習礼に向けて、前々日から奈良入りをして様々な準備を整えていました。宿泊するのは華厳寮。


 東大寺の最も西側にある建物の一つで、現在千手観音様を公開している戒壇院の先にあるお堂の並びにあります。


 かつては一般の方でも宿泊が可能でありましたが、現在では私のような末寺の僧侶が泊まることのある程度にとどまっております。また、いつか華厳寮にも活気が戻ってくるとよいのですが・・・


 さて、華厳寮のお隣は修二会の前行である別火で用いられる戒壇院の庫裏(僧侶が生活するスペースのこと)があり、そこには修二会に20回以上籠もられた倉永親念師がいらっしゃいます。


 物静かな方ですが、語り口は非常に柔らかく、多くの僧侶から頼られ尊敬されているお方です。そんな倉永さんと一緒に寺役のお堂へと向かいます。道中も習礼について「覚えていれば大丈夫」お声をかけてくださいます。


 歩くたびにお稽古用にとお借りしている鈴がコロリコロリと音を立てます。寺役の控えの間に着くと、塔頭の僧侶方はいつもと違いそれぞれ修二会の次第をお持ちになっています。どことなくピリッとした雰囲気を感じ、「これが修二会の雰囲気なのか」と背筋の伸びる感覚です。


 毎月十二日の寺役は大仏殿の西にある赤門、その先にある「公慶堂」で行われます。


 公慶上人は、江戸時代に大仏殿の再建に多大な貢献をされた僧侶です。東大寺の大仏様は過去二度、大火によってその身を焼かれています。一度目は平安時代、平重衡による南都焼討、二度目は松永久秀らによる大仏殿の戦い。


 どちらも、大仏殿は消失し、多くの人々が共に焼かれ命を落としました。平安の末期の焼き討ちの後にはには俊乗坊重源が中心となり、後白河法皇・源頼朝らの支援を受け十年ほどであの巨大木造建築である大仏殿は無事再建されたのです。


 しかし、室町時代の場合は数十年に渡って修繕がなされず、大仏は風雨にさらされ続けたのです。それは戦国の世の乱れ、朝廷の権力の低下、南都の重要性などやはり歴史の流れに翻弄された結果と言えます。


 そんな中で、雨に濡れる大仏様のお姿を見て、決起したのが公慶上人です。幕府の許可を得て、全国で勧進を募り大仏殿の再建を成し遂げたのです。現在までの残る巨大な大仏殿をひと目見れば公慶上人がいかに大変な事業を成し遂げられたのか理解することができることでしょう。


 公慶堂はそんな公慶上人を祀るお堂で、毎月東大寺の僧侶たちが12日に集まり、理趣経を唱え供養されております。この理趣経というのは真言宗でよく読誦されるお経なのですが、東大寺でもご供養に関わる法要の際に唱えられております。


 閑話休題として。寺役が始まるまで私の頭の中は暗記した内容がぐるぐるぐるると繰り返されていました。当時の私は声明の文言は覚えることはできていたのですが、音の高さであったりタイミングであったり。そういったものが全くできていませんでした。声も低く、音程もとれない。カラオケも下手くそ。なのでせめて文言だけは間違えないようにと必死になっていたのです。


 東大寺で唱えられる「理趣経」というのは一味違います。真言宗のものとは違う節回しはさておき、非常に速いのです。舌と肺活量が鍛えられるような速度です。

 加えて理趣経というのは普段のお経とは読み方も少し異なり、どんどんと早くなるお経に付いて行くと、段々と経典にのめり込むような感覚。さながらトランスに入るように。


 そのときには習礼への緊張などは吹き飛んでいました。


 寺役が終わると、普段なら各々が自坊や職場に向かうところですが、この日は東大寺の本坊へと皆で向かいます。赤門を抜け、指図堂を通り、大仏殿の脇を抜け、ゆっくりと。


 途中、先輩方が「私もできなかったから大丈夫だよ」「トイレには行っておいたほうが良いよ」など少しでも気持ちを楽にしてくれようと声をかけてくださったことを今でもよく覚えています。


 しかし、当時の私は理趣経でハイになっていたこともあり「まぁ、覚えてるし大丈夫でしょ!」と自信満々でいました。場所は本坊の奥にある大部屋。塔頭の僧侶がずらりと並ぶ。私はその末席に座ります。


 部屋の端っこに座布団が用意されており、それを内陣にある半畳に見立てて行うとのこと。修二会において内陣には半畳の畳が置いてあり、時導師はそこで立ったり座ったりしながら声明を行っています。これは局や礼堂からも見えないので知らない方も多いかも知れませんね。当時の私ももちろん知りませんでした。(笑)


※参考

 〈後夜の声明〉https://www.youtube.com/watch?v=UxJE96yAWuU&t=928s

 ちなみにYoutubeチャンネルにも修二会の声明が公開されておりますので参考までにお聞きになってみてくださいませ。

 この音源ではベテランの練行衆である隔夜寺の中田定慧師が時導師を務められております。力強く安定したお声で、淀みなく声明をリードするまさに導師といえます。あの時にこの音源があればと思わずにはいられません。


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