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執筆者の写真望月 大仙

令和三年 不空羂索観音大祭


不空羂索観音祭


 当山では、毎年九月に本尊不空羂索観音のお祭りを厳修しております。普賢光明寺にとってのお正月といった日です。


 というのも、当山は先代住職の曠靖が東大寺三月堂の不空羂索観音とご縁が結ばれたことを起こりとしており、その後不空羂索観音と伝日光・伝月光菩薩の尊像の掛仏を造立し、東大寺三月堂にて開眼し祀ることといたしました。


 この開眼供養が九月に行われたことから、当山では毎年九月に観音様のお祭りをしているのです。


 昨年から、人数制限をしており午前午後の二部制で行っておりますが、当山信徒の皆々様が集まり、今年も無事にこの日を迎えられたことを改めて観音菩薩に感謝し、また一年のご守護を祈願するお祭りです。



 散華で道場を荘厳し、不空羂索観音法を修して祈願いたします。昨年度からは、私が修二会に参籠したことで「散華」は修二会の観音菩薩を本尊としたものに変更することが出来ました。


 東大寺で主に唱えられている散華が釈迦如来を本尊としたものなのです。二月堂のように「散華行道」といきたいところですが、残念ながら当山の内陣ではそれは叶いませなんだ。そこはご勘弁いただきたいものです。


 この観音様のお祭りは大きな祈りです。このコロナ禍の中でどれだけ祈ったことかわかりません。ある人は言うでしょう。「いくら祈っても何にもならない。気休めだ。」と。まぁ、気休めになっているのであれば十分役に立っているとも思いますが笑。


 しかし、祈りにはそれ以上の力があります。この混沌として、ポジティブなニュースが少ない今だからこそ祈りの気持ちが大切なのです。文句を言ったり、怒りを吐き出したり。これは悪因を作る作業に他ならず、結局自身に、そして世間に悪果をもたらす。


 であれば、幸せを祈り感謝する善因をいかに作るのか?に私達がより善く生きるためのヒントが隠されているのではないでしょうか?


 今の世の中、様々な媒体があります。その中で大きくの人が悪因を吐き出し続けています。スマホをいじる手を止めて合掌し、罵る口を閉じ真言や感謝、祈りを唱える。これだけで変わります。


 この観音様のお祭りは、その感謝と祈りのための一年の総決算としてのお祭りなのです。当山は皆々様の幸せと無事を祈り続けております。


合掌


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